2014年11月23日日曜日

No69.1年間、ベトナムで懸命に生き続けた結果

19歳のとき

再び、39度超えの急熱に侵され、民間の病院へ強制搬送されました。ちょうど1年前にも、39度の熱に侵され野戦病院のような真っ暗な病院へ搬送され、恐怖の入院生活を送ったものです。


それはさておき、皆さんはお元気ですか。ほんとに会いたいです。他の国で暮らしても、寂しくないと宣言していた僕ですが、やっぱり寂しいですね。東京の兄や鹿児島の母や家族、従姉妹たちにも会いたいものです。特に、夏紀やさやかは元気にしてるかな。

今は、ベトナムでの人付き合いにも恵まれ、家族のように温かい方々と生活しています。

グエンさんご家族・コックさんご家族に囲まれ

今の僕の仕事は、ベトナムの役人です。現地の政治家の方のかじ取りもあり、奇跡的に、ベトナムの地方の省役所(日本で言いますと、県庁)の投資部門で働いています。
他にも、ウェブデザイン会社のPR担当や建設会社の営業担当と、複数のヘルプも兼ねていますが、今の私にしっくりくる仕事は省役所での仕事です。

↓こちらは現地の日本人の方に記事にしていただいたものです。
http://vietnam-navi.info/article/vung-tau-yabushita


 ベトナムという国のことを、よく知る日本人の方って少ないですよね。僕もここに来るまでは知りませんでしたし、危険な国だと思っていました。交通整備がまだ先進国レベルじゃないので、やや事故は起こりやすいけれども、それでも注意すれば何の問題もない

ここに来て、本当に思うのは、この国は昔の日本なのかな~ということ。
人と人との繋がりは非常に結びやすく、一度結ばれれば、家族のように温かい。

僕は、好きですね、この国が。みんな、本当に真面目なんですよね。

日本では2次産業の高度成長が終わり、徐々に緩さが求められていますが、この国はその日本を見習い、自分たちも日本のように成長したいと考えている。だから、日本人がこの国に来れば歓迎され、その日本人から何かを学び取ろうとする。そういう誠実さがあります。


24歳のとき(今)

ここ住む人々は、お互いに助け合いながら生きようとする、そんな優しさを持っています。日本の礼儀作法に負けないほどの、食事マナーや上下関係もあります。僕は苦手ですが、そういう彼らの作法を見様見真似しながら、日本の礼儀作法の意味について気づくこともあったりします。

僕には、将来の夢が3つあるのですが、全部叶えられる気がしています。

外交官、建築士、ファッションデザイナー。

全部、職業として叶えるつもりはなく、コンセプトベースで叶えるつもりです。実際に、高校生の時に考えていた外交官という仕事は、国と国を繋ぐ仕事、まさに今やっている仕事が当てはまると思います。次に、建築士。こちらは、今、陰ながらにサポートしている建設会社の仕事が徐々にその夢を叶えてくれるのではないかと思っています。

夢は最初から諦め腰で描いていては、叶うわけありませんから、まずは思い続けることですよね。

いまやっていることは、絶対○○に繋がるんだって。

そして、最後の難関ファッションデザイナーですが、こちらはまだ目処も立っていませんが、それらしき仕事を発見したら、裸で飛びつくつもりです。大事なのは勢いと思いですよね。

5歳のとき

僕はよく、口を開けているときに写真をとられる習慣があります。
隙だらけである証拠ですが、隙だらけの人生も悪くないですよね。

その代わり、その隙が見えなくなるぐらいの努力を続けることが必要でしょうね。

やること為すこと少なければ、「なんだ大したことない奴だな」と思われるだけですが、為すことが多ければ、隙なんかどうでもよくて、「ようやるなあ」と思ってもらえると信じています。


今はまだ、人生の訓練期間ですが、まずは謙虚な姿勢を失うことなく、前向きに歩むことだなと思っています。

皆さんは、僕のように二日酔いになることも少ないかもしれませんが、いかがお過ごしでしょうか。僕は日本への一時帰国も難しい昨今ですが、文通でもメールでもスカイプでも構わないので、お時間ある時でも構わないので、「生きてるかー」など連絡取り合いましょう!


2014年3月24日月曜日

No68.雨の降らぬこの地で、雨の日の切なさや夕暮れの寂しさを想う気持ち。これを、何に喩えよう。

毎日、悔しくて、悔しくて、たまらない。

自分の心の弱さゆえに、自分の本当の気持ち、自分が思い描く理想にそぐわぬことをしてしまう。言い訳ばかりが頭に浮かび、それを誰かに言いたい衝動に駆られる。弱さゆえに、そのようなことを求めてしまう自分が腹立たしい。

人を動かす以上、自分が出す指示一つ一つに責任が伴う。私自身、自らの生きている時間を大切にしている以上、一つ一つ出す指示が本当に正しいものなのか、思い悩む。自らの指示によって他人の人生を消費している意識が、自分自身の頭にずっしりと圧し掛かる。そのとき、思いとどまり立ち止まった瞬間、自らの思い描く理想に近づいたり離れたり。そのとき、思い切って踏み出した瞬間、自分の決断が相手の時間をじわじわと消費し始める。


No67. すくむ手足。

人生において、今日ほど悩み苦しむ日々はあっただろうか。

たった3ヶ月の月日で、目の前で3人以上のひとが亡くなり、あるときにはバイクが激突し、人が飛んでいく姿を見た。バイクは激しく横転し、引き付けられるように集まる人々。また、あるときには、人々が入り浸る市場で、わが子の背中をさする母。肩に担がれた子の顔には、生気は感じられなかった。こういう光景を初めてみる者にとって、突然、目の前の光景がなんなのかがわからなくなる。

先日、学生が500人ほど集まるキャンプ場で竜巻が起こった。20m以上の高さのある砂嵐のようなものが数秒にして現れ、学生たちが手にもっていた鍋や皿が空中に吹っ飛んだ。人以外のすべてのものが舞い上がり、何時間もかけて作ったテントも飾り物もすべて、なくなってしまった。

そして、その晩、キャンプファイヤーで踊り疲れ、休んでいた矢先、今までの人生で聞いたこともないような爆発音がした。花火のような波動とは異なる、とてつもない鈍く、巨大な波動。誰もが耳を押さえていた。

1分後、運営事務局の前に、ほぼすべての学生が集まっていた。そこには、ひとりの学生が、先生の膝にのっかっていた。顔は白かった。

どうしてなのかわからない。今までの人生で起きたこともない出来事と遭遇すると、数日間、なにも考えることができなくなる。頭はぼんやりとして、一杯のコーヒーであっという間に1日が過ぎてしまう。ついさっきまで、欲しがっていたはずの物も、突然、忘れてしまう。たった一瞬、たった一瞬の出来事で、すべてが吹っ飛んでしまう。なんでなのかわからない。





2013年9月13日金曜日

No66. 俺が初めて何かを諦めたのって、小学6年のときじゃん!!!




「ただいま」の日々
都の西北に住まう友人を訪ね、一昨日の夜から宿らせてもらっています。時の経過と変化に呆然と立ちすくむここ数日でしたが、気持ちに一段落をつけ、自分の手相に「しあわせ」の文字を重ね、今日もげんきに生きております!

いまのわたし。
まだお伝えしていなかった方々も数多かったと思いますが、来年の春から東京都市大学(旧武蔵野工業大学)の工学部建築学科に通います。来年に受験を控えておりますが、今年の5月からアルバイトを兼ねて勉強したこともあり、昨月に勉強のほうは一段落が着きました。一安心です。

あのころは、水分が蒸発しきった枯木のように。
建築学科に再入学するのは理由があります。昨年5月、わたしはある学習塾から内定をいただき、そこで働く意志を持っていました。もちろんその意志は、いまも変わりません。しかし、当時のわたしの内心は、エネルギッシュなものではなく、どこか魂の抜けた枯れ枝のよう。「生きていきたい、もっと水がほしい。」そういう気持ちになれなかった。

わたしに生きがいをください!!!
毎日考えていました。「だれか、わたしの心に火をつけてくれ。」みたいなことを。でも、意外と自分で諦めていただけだったんです、生きがいを持とうとすることを。正直、そういうものを持って生きようとすることがすごく怖かったんです。

諦めたことってなにかな。
恥ずかしながら、僕はこの23年という人生の中で数多くのことを挑戦せずに諦めてきたと思うですよ。「他の国の友だちが作りたい」という理由で外交官か国際公務員になりたいと思っていたり、大学デビューを見事に成功へと導いてくれた洋服に感謝すべくアパレルで働こうとしたり(夜間の専門学校で入学が決まってたのに結局やめるという)、色々と思うものの始めてからすぐに諦めてきたんです。でも、この歳になって今更なのかもしれませんが、諦めることって、大切な場所を失うくらい、心の毒なんじゃないかなーって思うんです。

そういうことを考えるうちに、ふつふつと湧いてきたんです。諦めたことをひとつつづ叶えていこうよ!って。ちょうどそれが、昨年の12月から今年の2月にかけてのこと。ちょうど、自転車屋さんで見習いをしていた時期ですね。うんうん。懐かしい。(いまも、自転車のフレームを自分で作って、自作の自転車を作ることを念頭にいれつつも、優先順位は低いから後回し!集中。)

それで、真っ先に叶えたいことがあったんですよ。いまでもあの瞬間は忘れません。

「俺が初めて何かを諦めたのって、小学6年のときじゃん。」

みなさんって、小学の卒業文集でなに書きましたか?ぼくは建築設計士になってお母さんのために家をつくるって書いてたんですね。でも、小学生のあの頃でさえ、卒業文集で建築設計士なると書きつつも、すでに諦めていたんですよね、内心。ぼくには無理だよって。実は、大学に入学することも僕には無理って思ってたんですよね。。そういうことってみなさんもありませんでしたか?僕は、いつのまにか諦め癖がついてしまっていた。もったいない。

そして、次第に思いがつのるつのる。

「小学校のころの夢を叶えることができたら、もう人生、言うことない。しかも、もし叶ったとしたら、それを実現させた先生ほど、かっこいい先生はいないでしょ。」と。ええ、学習塾で働くことも見据えてです。

この思いは。今の僕が元気にいきていくために、どうしても必要なんですよね。



2013年3月5日火曜日

No65. 日々、何に幸せを感じるか


”ない”のが当たり前の日々
いまの僕は、ほんとにささいな事でも幸せを感じる。

朝の目覚め、紅茶一杯の香り。
太陽の日差し、青空を眺める一瞬。

自らの足で地面を踏みしめながら、帰路につくる喜び。
身も心も大いに使い、帰路で道草を食う喜び。

朝起きてもやる事なく、ふわ〜とあくびをする時間。

僕はどんな事にでも、幸せを感じている。
もともと、生きていられる事自体、ありがたいものだから。
そう思っている。

”みんなは、まわりは、日本では、友だちは、親は、学校は、同僚は”
こんなどうでもよい主語たちに、振り回されなくなった。

自分が生きている以上、自分の関心ごとや興味に集中する事が一番だと思っている。
将来、幸せにいきてゆきたいなら、今幸せになること。
他人を幸せにしたいなら、自分を幸せにすること。

僕は常に、現在や自分を原点として、そこから幸せの芽を伸ばしている。

幸せの定義
幸せは、いつも変わるものだと思ってる。

時が経てば、お腹が減ったり、眠くなる、そしたら、食事と睡眠が幸せ。

友人といても、一人でいたいなら、一人でいるのが幸せ。
一人でいても、友人といたいなら、友人といるのが幸せ。

音楽を聴くのが好きなら、音楽を聴くのは幸せ。
でも、聴く気がしないなら、聴かない方が幸せ。

幸せってなに?
そんなの聞かれても、そのときどき。
べつに決まったものじゃない。




2013年2月21日木曜日

No64. 言葉のらくがき


今日も1日生きれてよかったぁ。
 一日を生きていくうえで、やっておかないといけないことなんて、ほんとは何もないはず。なんだけど、いつのまにか取り憑かれたように、色んなやらないといけないことに追い込まれたりする。一日にすることなんて、ほんとは、ほんとは、もっと簡単なことで、「生きててよかった!」って言えたらそれで十分なんだと思っている。

音楽1曲、メール1通、1言の会話。
 たった一回のなにかがあれば、僕は一日を生きててよかったなあって思える。なんでかな?ほんとはもっと切実に何かを考え、実行し、結果を出すほうが充実してると思ってたのに。でも、いまはそうでもない。いまの僕は、目に見える結果やすぐに手に入るようなものじゃなくて、ジリジリと歩く中で次第に見えてくるようなものを欲しがっている。それは、人の心に突き刺さるような何かだと思っている。それって、なんなのかな。

10年後の幸せとはなんでしょう。
 僕は高校に入った頃から、ずーっと”意味”を求めて生きています。食べることに意味はあるのか?友だちを作ることに意味はあるのか?だから、8年ほど経った今では、身の回りにあるほとんどの事柄に対して、意味付けができてきた気がします。その分、意味を追い求めたいものにはすごぶる粘り、意味を見出さぬものには歯牙にもかけない。本題である、10年後の僕の幸せってなんなのでしょうね。こんなことを問いつつも、答えは出ているんですけどね。





2013年2月8日金曜日

No63. 2012年、カウチサーフィングから生まれた人生初の海外旅行〜1週間目〜

美と滑稽
最初1週目は、街の風景に魅了されました。
ストックホルム中央駅の上には。
駅のホームにある、ファッション広告
道路の真ん中にある歩道。
緑の中のセブンイレブン。
ストックホルム中心街にある公園。
スーパーにある野菜くだものコーナー。
ピーマンもパプリカも同じ。

あるがままの野菜たち
葬られた野菜