2012年6月24日日曜日

備忘録


【客人リスト&予定@馬場下ハウス 】
6/24~25 Damian (ドイツ)
6/25       どんぶり氏の後輩たち
  (小川くん&他数名)
6/27~29 Berta (スペイン)
 Max(スウェーデン)
7/2~5     Tuomas(フィンランド)
7/3         早稲田応援部3名
 (早稲田の誇り)
7/9~12   Lotus, Rosa, Signe
 (デンマーク)
7/19~20 Jake, his girlfriend(中国)
7/20~27 テスト週間
(さようなら早稲田)
8/1~31   あげお海外渡航(1〜2週間程度)

2012年6月22日金曜日

No47. 早稲田の宿 ”BABASHITA HOUSE”


早くも3ヶ月。

千葉の西船橋から馬場下に引っ越して、3ヶ月が経った。以前は一日2食の一人暮らし。一杯200円程度の牛丼が、僕の心を潤していた。

【当時の生活費】
食費30000円
交通費5000円
通学時間50分
家賃63000円
光熱費7000円
計:10500円

一人暮らしのときは、コスト面が高くストレスフルな生活。虫もでるし、夏は暑く、冬は寒い。家に帰っても、飯はないし、買いに行く場所も近くにない。”Oh my god”な毎日だった。

馬場下ハウスに来てから。

しかし、今となっては、それは過去の話。馬場下にきてから、コスト面のみならず、自分の心を潤してくれるものが変わった。まずは、全面的なコストダウン。

【いまの生活費】(前年比)
食費15000円 (↓15000円)
交通費0   (↓5000円)
通学時間5分    (↓45分)
家賃32500円 (↓30500円)
光熱費8000円  (↑1000円)
計:55500円 (↓45000円)

特に、食費が抑えられているのは、一緒に住む”丼野郎”と”ボクサー”のおかげ。3人とも、低コストの食材で、3人分の料理をつくる。これにより、単品で作ったときよりも食費が浮くのだ。ちなみに、それぞれの得意料理は、丼野郎は海鮮系、ボクサーは天ぷらと肉食系、僕は「大根おろし」一品である。


心を潤してくれるもの。

そして、今の僕を潤してくれるのは、これだ。”飯うま”と”来客人”。

”飯うま”といえば、海鮮丼や天ぷらをはじめとして、品川揚げ・3種の肉料理(鶏肉、豚肉、牛肉)・コッチュジャンクッパ・青葉巻きなどがあった。ちなみに海鮮丼のネタは、「大トロ、中トロ、うに、いくら、エビ」。ヨダレの出る最高傑作であった。


”来客人”は、早稲田生や他大生はもちろん、高知から出張中の方、作家志望の方、飯だけを食べにくる乞食どもなど、さまざまである。リピーターはやはり、この3人。イタリアン系男児(しぶ)とアジアの巨乳(よしみ)、早稲田応援部の孤高(ぐれこ)である。リピーターには、ほんとに感謝している。

日本人だけに収まらない、馬場下ハウス。

今週日曜に、ドイツの方が馬場下にくる。えぇ、緊張します。いままで馬場下に、他の言語を扱う人はいなかったため、僕たちは戸惑うだろう。僕自身、英語を話せた試しないし、家に泊まるなんて考えたこともない。でも、たのしみだ、ドキドキ…。来月にも、デンマークの女の子3人組とアメリカのカップルが来る。「日本に来てよかった!」って、言わせたいものだ。はっはっは。

最高の思い出に。

と、まぁ惚気臭い話をしてしまった。でも、”僕らは今日も生きている”的なニュアンスも込めて、「馬場下ハウスは今日も幸せだ」。あと1ヶ月で、大学生活は終わってしまうけれども、いまの幸せをしっかり噛みしめたい。もちろん、馬場下生活はまだまだ、つづく…

木製ソファを壊して動揺する丼野郎

2012年6月21日木曜日

No46. "あなたのことが羨ましい"


「もっと生きたい…」

袖を濡らしながら、
そんな言葉をつぶやきたい。

僕という人間は、自分の心と向き合うのがとっても下手なんだと思う。だから、心の充足感に気づかない。他人の心や周囲の期待に応えることは、得意。自分の気持ちを考えなくいいから。でも、自分の感じるものに気づくこと、それはむずかしい。

自分と他者、両者からのOK。

ここ15年間、「自分からのOK」と「他者からのOK」のバランスが、とれていなかったかな。小学時代は、前者がいちばん。中高・大学時代は、後者がいちばん。どっちにしても、その後の反発は大きかった。いまの僕は、「自分からのOK」を得たい。精神的な飢餓感があるから。これからの人生、その繰り返しなのかもね。

自分からのOK:自己実現

自分からのOKとは、なんなのか。具体的には、自分の気持ちに通じる振る舞いができること。

母「りんごとミカン、どっちが好き?」
子「りんご!」

母「りんご、たべたい?」
子「たべたい!」

母「じゃあ、どうぞ。」
子「いただきます!」

相手からどんな質問をされても、「自分はこうなんだ。」「こうしたいんだ。」って心から言えたり、そのように振る舞えること。

他者からのOK:他者からの承認

一方、他者からのOKは、なんなのか。具体的には、他者から最終的に認めてもらうこと。

自分「◯◯で働いてる。」
友人「すごいじゃん!」

自分「結婚したんだ。」
友人「おめでとう!」

自分「子どもいるんだ。」
友人「いいな〜!」

自分のことを伝えたり見せたりすることで、誰かから驚かれたりほめられたりすること。

もっとしあわせを感じたい。

正直、いまの僕は、他者からのOKを第一義にすることはない。自分の感じるものに、もっと向き合いたいから。

長生きしたい…
きれいなものを見たい…
ひとに会いたい…

そんなことを思えるようになりたい。これが、いまの僕のねがい。

2012年6月20日水曜日

No45. 「知らなかったでは、すまされない」


今年は、死んでも渡航する。

そんな心持ちで、渡航に向けた下準備をしてる。「知らなかったでは、すまされない。」これが、渡航において重要なことだろう。以下、いろいろ調べてみた事を、載せてみる。

フリーターには、取得できないビザがある。

タイへの渡航を計画していたのだが、大学生のうちに渡航を一度経験した方が良い事がわかった。フリーターになってからでは、取得できないビザがあるからだ。ビザには種類がいくつかある。でも、一番ハードルの低い観光ビザでさえ、フリーターへの風当たりは強い。※ビザなしでも30日以内の出国予定であれば、入国可。
参考URL:「タイ王国.com」(http://www.thaiokoku.com/fundamentals/passport_visa.html)

携帯は、現地調達か、契約変更。

こんなの、当たり前なのだろう。日本向けのパケ放サービスは、国外では機能しない。それを知らずに、渡航先で携帯を使うとアウト。数十万の法外な通信料が請求される。僕は、知らなかった。渡航先でも、パケ放だと思っていた。用心。
参考URL:「J-CASTニュース」(http://www.j-cast.com/2008/11/12030240.html?p=all)

海外でも使える、日本の国民健康保険。

「診療内容証明」と「領収明細書」があれば、帰国後に7割が還付されるそうだ。(国民健康保険が認める医療と金額の範囲において)もちろん、クレジットカードや海外旅行保険でも、治療費の完全負担を免れる。身と財布を守るべく、要チェック。
参考URL:「タイの病院」(http://www.zizaizin.com/タイ-ロングステイの手引き/タイの病院-治療費の支払/)

2012年6月19日火曜日

No44. ”武者震い”はとまらない


パスポートの申請。

今日一日で、パスポートの申し込みを済ませた。その際、はじめて戸籍謄本を取得した。家族構成、旧姓、生年月日。あらゆる情報がそこには記載されていた。もちろん、父の情報はあったものの、”除籍”となっていた。母は、どのような気持ちで、この戸籍謄本を見ていたのだろうか。そんなことを考え、手続きを済ませた。

臆病な、小僧。

パスポート申請には理由がある。それは、一歩を踏み出すことだ。残念ながら、大学時代の僕はひどく臆病者であった。ふだんは大風呂敷を広げて「なんでもできる」と調子に乗っていた。地方に出向いて働く学生を軽くみたり、海外に憧れて旅行する学生を影で笑っていた。ときには、アメリカにインターンに行く友人を見て、「俺も金がありゃ、できるわそんなもん」と舐めてかかった。

しかし、自分の事となると、状況は一変した。たった3万円相当の旅行でも、翌週の食費や学費が足りなくなることを恐れた。「なくなったら、どうなる」、「いまは我慢だ」。言い訳ばかりを考えていた。しかも、パスポートに必要な1.6万円を出すことでさえ、4年間渋り続けた。武士で例えるなら、ふだんは刀を腰に据えて道を闊歩するものの、いざ戦となると、途端に刀を隠し農民に変ずる、情けない奴であった。

なるべくして、小僧になった。

たしかに、「お金がない」というのは事実であった。実家の所得は、年間150万円程度の遺族年金のみ。母は、危篤状態の祖母を看病しているため、働けない。もちろん、遺族年金があるため生活保護の対象外。この事実を、大学1年のおわりに聞いたものだから、一瞬で”小僧”になってしまった。ビクビク、震えながら、4年間生きてきた。

小僧は、カッコ悪い。

でも、いまの僕は、”小僧”をやめた。なぜなら、小僧はどこまでいっても小僧にすぎず、ちいさくなるだけだったから。いっそのこと、環境ごとガラッと変えたほうがいい。そのぐらいの覚悟になった。

家族のこととか、お金のこととか、名誉のこととか。こんなことを考えて、縮こまってても、なーんにも、僕に与えてくれない。与えてくれるのは、不安だけ。だったら、与えられる生き方はやめて、自分から飛び込んでいこう。もっと、もっと、進んでみよう、と。

”武者震い”はとまらない

いま、自分が持っている刀では、戦場のいつ・どこで折れるかわからない。もしかしたら、刀を交えた瞬間に折れるかもしれない。その恐怖を感じながら、いま、立っている。


2012年6月14日木曜日

No43. 「3K」×「不安定」=「フリーター」



フリーターになることの危うさ

当たり前なことだが、楽な人生を送りたければ、フリーターは絶対にやめたほうがいい。フリーターという選択肢は、就業機会・生活設計・キャリア形成の3点において”マズイ”からだ。

就業機会:「年とっちゃうと、限られてくる」

30代になって「正社員になりたい」と思ってもなかなか就職できないと思う。僕は若造であり、まだそのような経験をしていない。でも、わかる。フリーターしか経験していない労働者は、面接にも応じてくれないだろう。そんなもんだと思う。特に、「とりあえず〜」、「なんとなく〜」という優柔不断な意思決定のもとで生きた人なら、尚更そうなりかねない。

生活設計:「結婚したいんだけど・・・」

フリーターのデメリットは、就業機会のみに限らない。結婚相手の親にも不審に思われ、子どもにも心配をかけ、マンションを買うにも銀行からお金が借りられない。さらには、親が病気になったら、入院・介護費用もかかる。ここまで考慮にいれると、フリーター人生は、最悪である。だから、何も考えずにフリーターになってはいけない。こうした最悪の事態を、覚悟しないといけない。

キャリア形成:「ひとりでは食っていけない」

デメリットの極めつけはこれ。フリーターという職業経験では、生計を立て得る職業能力は身につかない。フリーターで全うできる経験のほとんどが、入門レベルに終始してしまうことが多い。そのため、フリーターという生き方にどれほどの価値を見出すことができても、そこには正社員ほどの成果を得ることはできない。残念ながら、フリーターに任される職務範囲では、キャリア形成にまで結びつく体験は少ない。だからこそ、フリーターになる以上、自分自身でキャリア形成を行わないといけない。

総じて:フリーターになるって怖いことなんだ。

1時間ほどかけて、図書館で「フリーター」について調べた。1冊1冊、読み進めていく上で実感したことは、「フリーター人生は”マズイ”」ということだ。おそらく、なにも考えずにフリーターになると自滅するんだと思う。

一日、一日、気づかないうちに足場が崩れていく。最後には、いま立っているところにしか立てなくなってしまう。フリーターであり続けることは、こういうことなんだと思う。もちろん、フリーターという立場を利用してキャリア形成を積めば、問題ないだろう。ただ、”なにもしなかったら、どうなるのか?”という問いは、今後も考え続けなければならない。


参考文献
『ニート・フリーターと学力』佐藤洋作、平塚眞樹
『フリーターという生き方』小林礼子
『「働きたくない」というあなたへ』山田ズーニー

No42. ”14歳”が再びやってきた


 

これこそ、14歳の強さ。

”14歳”といえば、中2。あのときから8年たった今、久しぶりに中2になった気分だ。あらゆることに対して反抗期。「当たり前」と思うことに疑問を持ち、「押し付けられた概念」は吹き飛ばす。正論を嫌い、ニッチなことを好む。大多数の意見を嫌い、争い事はしない。じっと、活躍の時を見計らう。

中2病が、唸りをあげる。

一般的に、こうした状態を中2病と言いますが、認めます。僕も中2病です。しかも、中2病とバカにされても、怖気づかない重度です。役立たずと言われようが、カッコ悪いと言われようが、構いません。なぜなら、自分に自信を持つキッカケを見つけることができ、一人になっても歩き続ける強さをもてるからです。もちろん、この中2病は、今に限ったことではなく、これからの人生のなかで何度もやってくると思います。特に、心が折れそうなときや、見通しの立たない状態になったときに。

灯台もと暗し。

ただ、中2病で用心すべきは、木を見て、森を見ずという状態である。中2病でよくあるダサいことは、我が強くなりすぎて客観性を失うこと。徹底的なこだわりを持ちすぎて、反論や批判に耳をよせないことである。一度こうなると、自滅する。第3者のみならず、関係者からみても思考の幅が狭く、考えが浅くなる。結果、感情だけが爆発し、言動が突発的になってしまう。非常にこわいことである。こうなるのは、絶対に避けたい。

中2ファンタスティック。

しかし、この弱点さえ潰せば、中2病はプロテインみたいなもの。一度かかってしまえば、大したことでは心は折れない。「バカじゃねえの?」、「うまくいくわけないだろ、アホ」、「君、失敗するよ」と言われても、効かない。中2病に聞こえてくるのは、いつか言われるだろう「すげえ」、「桁外れだね」、「勝てねえわ」という賛美。いまの評価に動じないこの強さは、ハンパない。いまの僕は、これに似たような状態を保てている気がする。「クズといわれてもいい。」そんな心持ち。

中2病になったわけ

ちょっとだけ、精神論的なものを書きすぎた。でも、ここで改めて考えたい。なぜ中2病になったのか?結論からいえば「目先の結果にこだわる生き方を捨てたから」である。ここ1週間、自分の生き方についてずっと考えていました。

「大卒という特急券を使わず、フリーターという普通列車でよいのか?」

家族からの忠告もあり、僕は大学4年間、特急券をずっと握りしめていた。時には、特急券を捨てようと思ったときもあった。でも、捨てたあとに誰からなんて言われるのか怖かったし、使うのが当たり前と思っていた。しかも、特急券のおかげでキラキラした地位を手に入れている先輩も多かった。だから、ずっと捨てられなかった。

でも、今の僕は、特急券は使わないことにした。なぜなら、僕が中3のときから憧れ続けた生き方は「普通切符からはじまる人生」だったからだ。この生き方は、僕にとって大事な理想である。その理由は、僕の高校受験にまで遡る。

ある本との出会い。

僕は、高校受験で失敗した。4戦3敗。受かったのは、受験当日に「こんな学校、受かっても行かねえよ。」と笑っていた学校だった。第一志望校の不合格が決まった当日、中学で使ってきた参考書を家の壁に投げつけ、地面に頭をすりつけて泣いた。悔しくて、悔しくて、涙は止まらなかった。クシャクシャにしたプリントを地面に叩きつけながら、不合格になった自分を恨んだ。

「自分はこれからもずっと失敗しつづける。だめだ、だめだ。」

そんなとき、ある1冊の本を、母が渡してくれた。それは、稲盛和夫さんの「君の思いは必ず実現する」という本だった。

僕に届いた、稲盛さんのことば。

稲盛さんは、当時の僕と似た境遇にあり、失敗ばかりの10代を過ごした人だった。1ページ、1ページと読み進めていくうちに、自分と稲盛さんが重なっていくような気がした。

なぜなら、稲盛さんの10代のころの考え方は、僕の考え方と似ていたからだ。失敗するたびに、他人や環境のせいにして、不満ばかりを口にする。がんばって努力しても、また怠けて、人の期待を裏切る。まるで、僕のことが書かれているようだった。そして、その考え方から卒業した稲盛さんの言葉が、僕の胸に刺さった。この言葉は、23歳の稲盛さんが、自分を変えようと決断したときの言葉です。

「世の中をすねてうらんでも、自分の人生がうまくいくわけがない。たしかにいままで運が悪く、何もかもうまくいかなかった。でも、きっと神様は人生を公平に見てくれるだろう。だから23歳までは不幸だったかもしれないが、これからの人生の中で神様はわたしに幸運を授けてくれるかもしれない。だから、これからは人生を前向きに明るく生きていこう。」

稲盛さんのような人になりたい

この言葉を読んで、当時の僕は稲盛さんのようになりたいと思い、大学受験で成功することを決心した。幸運にも、努力は報われ、大学受験は成功した。稲盛さんに、感謝御礼でした。しかし、若さというものは「浅はか」なるかな。愚かにも、大学に入ると稲盛さんの言葉も忘れ、僕は遊び続けました。

もちろん、仕送りは貰わずバイトに精を出したものの、その生き方に稲盛さんのような信念はなかった。4年の月日はあっという間に過ぎ、22歳を迎えた。当然のごとく、他人や環境のせいにして努力を怠る自分に戻っていた。

「これでは絶対にいけない。元も子もない。一生後悔してしまう。」

4年が経って、やっとあるべき姿に気づき、原点回帰した。そしてもう一度、稲盛さんのような生き方を目指そうと思ったわけです。

「フリーターは、破綻寸前の会社に入社した若き稲盛さんと同等の道。誰もが憧れる道ではなく、だれもが歩ける道。この道から懸命に歩きはじめよう。」

普通列車での出発

こうして僕は、特急券を使わず、フリーターという普通列車に乗ることを決めた。そして、いまの僕が”14歳”のような気持ちでいられるのは、この列車に乗る前の高揚感のおかげだ。行き先もわからない、ゆっくりとした普通列車。後ろからどんどん特急列車が過ぎていく。間違いなく、この普通列車の数年先には、挫折が待ちかまえている。

それがわかっているからこそ、”14歳”のような気持ちに酔い浸ることができる。とてつもない不安と焦りが、武者震いを起こさせ、気分が高揚する。すごくいい。

誰にだって、これから先のことはわからない。それでも僕は、目先のことにこだわることなく、稲盛さんのような生き方をしたいと思う。

「僕の思いは必ず実現する」

遅くたっていいんだ。いつか神様は幸運を授けてくれるかもしれない。
だから今は、稲盛さんと同じく、前向きに明るく生きていこう。