これこそ、14歳の強さ。
”14歳”といえば、中2。あのときから8年たった今、久しぶりに中2になった気分だ。あらゆることに対して反抗期。「当たり前」と思うことに疑問を持ち、「押し付けられた概念」は吹き飛ばす。正論を嫌い、ニッチなことを好む。大多数の意見を嫌い、争い事はしない。じっと、活躍の時を見計らう。
中2病が、唸りをあげる。
一般的に、こうした状態を中2病と言いますが、認めます。僕も中2病です。しかも、中2病とバカにされても、怖気づかない重度です。役立たずと言われようが、カッコ悪いと言われようが、構いません。なぜなら、自分に自信を持つキッカケを見つけることができ、一人になっても歩き続ける強さをもてるからです。もちろん、この”中2病”は、今に限ったことではなく、これからの人生のなかで何度もやってくると思います。特に、心が折れそうなときや、見通しの立たない状態になったときに。
灯台もと暗し。
ただ、中2病で用心すべきは、”木を見て、森を見ず”という状態である。中2病でよくある”ダサい”ことは、我が強くなりすぎて客観性を失うこと。徹底的なこだわりを持ちすぎて、反論や批判に耳をよせないことである。一度こうなると、自滅する。第3者のみならず、関係者からみても思考の幅が狭く、考えが浅くなる。結果、感情だけが爆発し、言動が突発的になってしまう。非常にこわいことである。こうなるのは、絶対に避けたい。
中2ファンタスティック。
しかし、この弱点さえ潰せば、中2病はプロテインみたいなもの。一度かかってしまえば、大したことでは心は折れない。「バカじゃねえの?」、「うまくいくわけないだろ、アホ」、「君、失敗するよ」と言われても、効かない。中2病に聞こえてくるのは、いつか言われるだろう「すげえ」、「桁外れだね」、「勝てねえわ」という賛美。いまの評価に動じないこの強さは、ハンパない。いまの僕は、これに似たような状態を保てている気がする。「クズといわれてもいい。」そんな心持ち。
中2病になったわけ
ちょっとだけ、精神論的なものを書きすぎた。でも、ここで改めて考えたい。なぜ中2病になったのか?結論からいえば「目先の結果にこだわる生き方を捨てたから」である。ここ1週間、自分の生き方についてずっと考えていました。
「大卒という特急券を使わず、フリーターという普通列車でよいのか?」
家族からの忠告もあり、僕は大学4年間、特急券をずっと握りしめていた。時には、特急券を捨てようと思ったときもあった。でも、捨てたあとに誰からなんて言われるのか怖かったし、使うのが当たり前と思っていた。しかも、特急券のおかげでキラキラした地位を手に入れている先輩も多かった。だから、ずっと捨てられなかった。
でも、今の僕は、特急券は使わないことにした。なぜなら、僕が中3のときから憧れ続けた生き方は「普通切符からはじまる人生」だったからだ。この生き方は、僕にとって大事な理想である。その理由は、僕の高校受験にまで遡る。
ある本との出会い。
僕は、高校受験で失敗した。4戦3敗。受かったのは、受験当日に「こんな学校、受かっても行かねえよ。」と笑っていた学校だった。第一志望校の不合格が決まった当日、中学で使ってきた参考書を家の壁に投げつけ、地面に頭をすりつけて泣いた。悔しくて、悔しくて、涙は止まらなかった。クシャクシャにしたプリントを地面に叩きつけながら、不合格になった自分を恨んだ。
「自分はこれからもずっと失敗しつづける。だめだ、だめだ。」
そんなとき、ある1冊の本を、母が渡してくれた。それは、稲盛和夫さんの「君の思いは必ず実現する」という本だった。
僕に届いた、稲盛さんのことば。
稲盛さんは、当時の僕と似た境遇にあり、失敗ばかりの10代を過ごした人だった。1ページ、1ページと読み進めていくうちに、自分と稲盛さんが重なっていくような気がした。
なぜなら、稲盛さんの10代のころの考え方は、僕の考え方と似ていたからだ。失敗するたびに、他人や環境のせいにして、不満ばかりを口にする。がんばって努力しても、また怠けて、人の期待を裏切る。まるで、僕のことが書かれているようだった。そして、その考え方から卒業した稲盛さんの言葉が、僕の胸に刺さった。この言葉は、23歳の稲盛さんが、自分を変えようと決断したときの言葉です。
「世の中をすねてうらんでも、自分の人生がうまくいくわけがない。たしかにいままで運が悪く、何もかもうまくいかなかった。でも、きっと神様は人生を公平に見てくれるだろう。だから23歳までは不幸だったかもしれないが、これからの人生の中で神様はわたしに幸運を授けてくれるかもしれない。だから、これからは人生を前向きに明るく生きていこう。」
稲盛さんのような人になりたい
この言葉を読んで、当時の僕は稲盛さんのようになりたいと思い、大学受験で成功することを決心した。幸運にも、努力は報われ、大学受験は成功した。稲盛さんに、感謝御礼でした。しかし、若さというものは「浅はか」なるかな。愚かにも、大学に入ると稲盛さんの言葉も忘れ、僕は遊び続けました。
もちろん、仕送りは貰わずバイトに精を出したものの、その生き方に稲盛さんのような信念はなかった。4年の月日はあっという間に過ぎ、22歳を迎えた。当然のごとく、他人や環境のせいにして努力を怠る自分に戻っていた。
「これでは絶対にいけない。元も子もない。一生後悔してしまう。」
4年が経って、やっとあるべき姿に気づき、原点回帰した。そしてもう一度、稲盛さんのような生き方を目指そうと思ったわけです。
「これでは絶対にいけない。元も子もない。一生後悔してしまう。」
4年が経って、やっとあるべき姿に気づき、原点回帰した。そしてもう一度、稲盛さんのような生き方を目指そうと思ったわけです。
「フリーターは、破綻寸前の会社に入社した若き稲盛さんと同等の道。誰もが憧れる道ではなく、だれもが歩ける道。この道から懸命に歩きはじめよう。」
普通列車での出発
こうして僕は、特急券を使わず、フリーターという普通列車に乗ることを決めた。そして、いまの僕が”14歳”のような気持ちでいられるのは、この列車に乗る前の高揚感のおかげだ。行き先もわからない、ゆっくりとした普通列車。後ろからどんどん特急列車が過ぎていく。間違いなく、この普通列車の数年先には、挫折が待ちかまえている。
それがわかっているからこそ、”14歳”のような気持ちに酔い浸ることができる。とてつもない不安と焦りが、武者震いを起こさせ、気分が高揚する。すごくいい。
誰にだって、これから先のことはわからない。それでも僕は、目先のことにこだわることなく、稲盛さんのような生き方をしたいと思う。
それがわかっているからこそ、”14歳”のような気持ちに酔い浸ることができる。とてつもない不安と焦りが、武者震いを起こさせ、気分が高揚する。すごくいい。
誰にだって、これから先のことはわからない。それでも僕は、目先のことにこだわることなく、稲盛さんのような生き方をしたいと思う。
「僕の思いは必ず実現する」
遅くたっていいんだ。いつか神様は幸運を授けてくれるかもしれない。
だから今は、稲盛さんと同じく、前向きに明るく生きていこう。
遅くたっていいんだ。いつか神様は幸運を授けてくれるかもしれない。
だから今は、稲盛さんと同じく、前向きに明るく生きていこう。
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