2013年3月5日火曜日

No65. 日々、何に幸せを感じるか


”ない”のが当たり前の日々
いまの僕は、ほんとにささいな事でも幸せを感じる。

朝の目覚め、紅茶一杯の香り。
太陽の日差し、青空を眺める一瞬。

自らの足で地面を踏みしめながら、帰路につくる喜び。
身も心も大いに使い、帰路で道草を食う喜び。

朝起きてもやる事なく、ふわ〜とあくびをする時間。

僕はどんな事にでも、幸せを感じている。
もともと、生きていられる事自体、ありがたいものだから。
そう思っている。

”みんなは、まわりは、日本では、友だちは、親は、学校は、同僚は”
こんなどうでもよい主語たちに、振り回されなくなった。

自分が生きている以上、自分の関心ごとや興味に集中する事が一番だと思っている。
将来、幸せにいきてゆきたいなら、今幸せになること。
他人を幸せにしたいなら、自分を幸せにすること。

僕は常に、現在や自分を原点として、そこから幸せの芽を伸ばしている。

幸せの定義
幸せは、いつも変わるものだと思ってる。

時が経てば、お腹が減ったり、眠くなる、そしたら、食事と睡眠が幸せ。

友人といても、一人でいたいなら、一人でいるのが幸せ。
一人でいても、友人といたいなら、友人といるのが幸せ。

音楽を聴くのが好きなら、音楽を聴くのは幸せ。
でも、聴く気がしないなら、聴かない方が幸せ。

幸せってなに?
そんなの聞かれても、そのときどき。
べつに決まったものじゃない。