2012年12月22日土曜日

No59. 透き通る歌声!!

 
このくらい、思い切った歌いぶりは気持ちいいよね!きっと!

2012年12月19日水曜日

No58. Under My Line


"Life"

青空が広がる東京にて、朝が心地よく感じる。
素敵な時間とともに、そして徒然なるままに、カフェを飲む。

好きなことを考え、好きなことを知って、好きなことをつぶやく。

"Love"

「次はこれに決めた!」
そうつぶやきながら、Amazonに手を差しのべる。

どこまでも伸びていくこの好奇心が、毎日を楽しくさせる。

"Music"

ながれるように身体を揺らす。
いまの気持ち、いまの雰囲気にあう音楽を選ぶ。

It's My Life.


2012年11月28日水曜日

No57. アラレちゃん!



今日の東京も
手痔かむ寒さ(7℃)で、こたつがなくてはならないこの季節。スウェーデン(1℃)に比べれば、どうってことない…わけでもない。

最近やってる仕事の派遣先は海沿いが多いため、気合いでいけるとかの問題じゃなくて、着込んで仕事に行かなくちゃいけない。

夜になると、気温はマイナス近くまで下がるから、すぐに鼻水とくしゃみがでちゃう。仕事の日数が少ないとはいえ、風邪には油断せずにしなきゃと思う!

アラレちゃん
これが今のマイブーム。このブログにも2つ動画を載せていますが、アラレちゃんを見てるだけで楽しくなる。

みなさんもご存知のように、彼女の趣味は「ウンチをつつく」・「つおい人と戦う」・「パトカーや白バイ破壊」の3つがメインで、普段の走るスピードはマッハ1.5(時速1800km)、特技は地球割り。

鉄腕アトム(Astro Boy)の100万馬力の力とどっちが強いのかなって、見ながら思っています。でも、アラレちゃんが約2時間で地球4周しているシーンや恐竜を投げて惑星を破壊しているシーンを見る限り、アトムをはるかに超えているような。

気遣いができず、
天真爛漫な彼女だけど、寂しそうにしている動物や悩んでいる人をみたら、その動物や人のために笑わせてあげたり、彼らの思いを叶えてあげることもある。

そこんところはすっごく思いやりがあって、どこかワンピースのルフィー海賊団やブラックジャック、アトムに近いものを感じる。

楽しいことにどんなに夢中になっていても「楽しくない・寂しいと感じる動物や人」に手を差し伸べるその優しさ。うん、とってもいいと思う。

なにが楽しくて、なにが好きなのか。
(今日はアラレちゃんの話ばかりしちゃいますが、)彼女の考えの根本はすっごくしっかりしていて、「自分はなにに楽しさを感じて、なにが好きなのか」という部分がぜんぜんブレてない。

自分の好きと思うことにはトコトン向き合ってる感がある。それは、とっても素敵なことだと思う。なぜなら、その無垢な向き合い方は、新しい幸せに気づけることが多いんじゃないかな〜って!

僕自身、予算や計画や夢など、これから先のことばかり考えていると、気にするべきことがやっぱり多くなっちゃって、好きなことに対する創意工夫が欠けることが多くなる。

でも、「そんなの必要ないぽよ〜、んちゃ!」って気づかせてくれるのが、アラレちゃんの好きなところ。

鳥山明さん(アラレちゃんの産みの親)は、
アラレちゃんみたいな人なのかな〜って思ったり。
ノシ

2012年10月28日日曜日

No56. ”カウチサーフィングから生まれた人生初の海外旅行”〜費用編〜



※ここに書かれたことは体験をもとに書かれてあります。

1:滞在期間
2:全費用
3:交通費
4:食費&その他
5:レビュー

1:滞在期間
9月24日〜10月23日
※各国の滞在期間(重複あり)
スウェーデン3週間
デンマーク 5日間
フランス  3日間

2:全費用(航空券3枚、新幹線2枚、食費、雑貨…etc)
20万300円

3:交通費
1,羽田空港→(飛行機)
→スウェーデン
◎6万150円

2,スウェーデンでの交通費
(フェリー、バス、地下鉄、電車)
◎1ヶ月乗り放題定期券 約6000円

3,スウェーデン→(新幹線)
→デンマーク(コペンハーゲン)
◎片道で約4000円

4,デンマークでの交通費
(バス)
◎4回で約600円

5,コペンハーゲン→(新幹線)
→オーフス
◎往復で約5000円

6,コペンハーゲン→(飛行機)
→フランス
◎片道で約13700円

7,フランスでの交通費(バス)
◎10回で約1200円

8,フランス→(飛行機)
→羽田空港
◎6万150円

交通費 計15万1100円

4:食費&その他
食料品&カフェ 23800円
パブ 1400円
日本料理店のよくわからないカツカレー 1500円
豚の丸焼き 一人3000円
本2冊 2800円
動物園 1200円
Jazz Festival  3600円
靴 6000円
その他 5400円

5:レビュー
 今回の旅で、僕がいちばんしたかったことは、(1)現地の人たちのように暮らしながら、(2)旅費を最大限にまで削減することでした。ほんとに運が良くて、いや、現地にいた友人たち(Max、Linus、Lotus、Rosa、Katell、Alice)のおかげで、本当に本当に助けられました。もし彼らがいなかったら、僕は現地の暮らしどころか、途中でお金を使いすぎて帰国するハメになったり、泊まるところがなくて野宿した日があったかもしれません。最悪の場合、ろくに飯も食えずに駅やバス停で立ち往生していたかもしれません。みんな、本当にありがとう。感謝しています。
 このレビューでは(2)の目標を達成するのに工夫したことや利用した情報を3点ほど書きます!

1,人生初めての海外旅行のため、ぶるぶる震えながら旅行会社を利用。
その名も、トラベルコちゃん。このサイトは、今年5月にサハラ砂漠の300kmマラソンに参加した友人からのおすすめで利用しました。ぶっちゃけ、今年の6月までパスポートさえなかった僕は、チケットの買い方さえわからなかったので、こういうサイトを利用するのが非常に怖かった。お金を騙し取られるのではないか…と。もちろん、そういうケースがないとは限らないけれど、このサイトはまあ大丈夫でした!僕の担当をしてくれた玉光さん、ありがとう。

※もし今なら…
とはいえ、もし今の僕がもう一度同じ旅をするなら、絶対にこういう旅行会社を利用することはないでしょう。なぜなら、値段が高い…(泣)。そして、今はどのようにしてチケットを買うかを色々と知っているため、旅行会社の仲介は必要ないです。具体的な探し方としては、Googleで『france airplane』や『airport paris』といったように、現地の航空会社に直接アクセスすることなどなど。はっきり言って、探し方は国による気がする!

例えば、日本から北欧までの往復チケットであれば、8万円代で探せる気がする!!!

2,どんなに面倒でも、交通機関や交通経路はいろんな手段を探してみた。
今回の旅では、現地の僕の友人の御恩もあり、いろんな交通手段を利用する機会が多くありました。バスやメトロ(地下鉄)をはじめとして船や路面電車、新幹線、飛行機、そして自転車。今回の場合だと、デンマークからフランスまで普通の電車で行こうと思っていたのですが、スウェーデンの友人(マックス)のお助けの元、新幹線や電車よりも安くて早い航空券を発見。日本では、飛行機や新幹線というと高価なものかもしれませんが、国によってはまじで安い。日本で言う、北海道から鹿児島までの距離を1万円ぐらいで飛んで行けました。また、街で貸し出ししている自転車も一日100円のところもあったりして、驚き。とにかく、手間をめんどくさがらず、友人や地域の人(?)に協力してもらって良かった。

例えば、スウェーデンでは新幹線と航空機以外の交通機関の乗り放題チケットを空港で買ったり、デンマークではコンビニで買える交通機関チケットを買い、フランスではメトロで買える10回文の回数券をまとめ購入。また、友人マックスのアイデアにより、デンマークからフランスへ行く交通アクセスを、もともと考えていたドイツ経由の新幹線ではなく、ノルウェーの航空会社に直接アクセスして格安チケットを入手。考えれば考えるほど、安いものを発見できる…!!!

3,ご飯は手作り!!!
今回は、食費の節約のため、キッチンを借りて調理をつくるようにしたこともまた、今回の劇的な費用削減に役立ったのだと思います。ぶっちゃけ、僕が行った3ヶ国の外食は日本並みかそれより若干高いです。ハンバーガーセットが800円だったり、日本食が1200円だったり!!一方、野菜やフルーツは1キロで100〜200円程度。だから、毎日外食してたら、オワタ…。
 また、今回の僕の旅では、幸運にも、Max&Max Family、Lotus&Lotus Family、Katell&Alice&Emilieのご自宅の住むことができました。そのため、旅の半分ほどの日程の食事を御馳走様になりました。感謝、感謝、ほんとに感謝。おかげで、食費代も3割〜4割ほど節約できたため、豚の丸焼きを食べたり、動物園にも行く事ができました。僕にとって彼らとの日本での出会いは、ほんとうに幸せなめぐり合わせであったと思っています。


ね、ねむし…







2012年10月27日土曜日

No55. ”カウチサーフィングから生まれた人生初の海外旅行”〜動機編〜



注意:著者はやりたいことがいっぱいありすぎて、
以前のブログと矛盾があるように思えるかもしれませんが、
それは著者の表現力不足であって、ただの気分屋であるわけではありません。

残高1万円ほど。

2012年7月25日17時15分、僕は馬鹿な決断をしました。
みずほ銀行の預金が13万円ほどしかないのに、
12万300円の航空券を買いました。

行きの航空券は、羽田→スウェーデン(ストックホルム)。
帰りの航空券は、フランス(パリ)→羽田。

行きと帰りの空港を違う国にしたのは、
自分の視野を少しでも広くしたかったから。

※とか言いつつも、内心びっくんびっくんでした

純ジャパとしての22年間。

僕は、中学のころから、
小さいながらも憧れていたことがありました。

「外国人と仲良くなりたい」

あの頃は、かわいいやつでした

もちろん、大学生になってから、
そのあこがれは勝手にやってくるわけでもなく、
ただ時間だけが過ぎていく一方。

「早稲田大学に入れば、なんでも叶う。」

そんな”つまらない幻想”も軽く切り裂かれ、
4年間は他のことに使い、
大学4年間はあっという間に終わりました。

たとえ東京の中心部にある大学に入学したとしても
そのあこがれは、ただのあこがれ。

なにもしない人には、ただのあこがれでしかない。
ただ、それだけのこと。

絶対に、このままでは嫌。

大学卒業を目前にした今年の5月。
僕は、このまま会社に入っていく自分の姿が情けなく思い、
立ち止まってしまいました。

※このときも、立ち止まることに、びくびく

でも、

「自分のほんとうに望んでいることをしていない。」

心のなかで、ずっとその言葉が残っていた。
なんか、これ以上、他人の期待に答えるだけの時間はむり。
そんなことを、何度も、何度も、考えていた。

もし今、会社にスルリと入ってしまえば、生活は楽になると思う。
母も喜ぶし、お金もぼた餅のように落ちてくる。
嫌らしい言葉に聞こえるかもしれないが、
これが現実。

でも、それって、母が望んでいることであって、自分の望みじゃない。
僕はもっと、死にかけながらも、
人生という苦虫を噛み潰しながら、歩いていたい。

それが、僕の望んでいること。

なんでかな、そんな苦虫を噛み潰さなくても、
自分は、簡単にしあわせになるかもしれないのに。

そんなことを思いながらも、
本当に、本当に、やりたくてたまらないことを考えるようになった。

そして、その思いを文章にしていた。
いまからちょうど5ヶ月前のこと。

ダサい自分。

でも、文章を書いていて思った。

「こんなことしていて、なんにもかっこよくない」

自分の考えていることを、ただ文章にしているだけで、
現実自体はなにも変わっていない。
したいことをしていない。

スポーツで例えるならば、
プロ選手の動画を見ているだけで、
それでうまくなると勘違いしているような人。

完全に、間違っていた。

チャンスを掴んだと思ったら、振り向くことなく飛び込む。

そこで、僕はある人にアポをとった。
当時、シンガポールでニート中であった友人。
彼に、単刀直入に聞いた。

「現地の人との接点を、どうやって作ったのか?」

彼の口から、すぐに出た言葉がこれ。
”Couch Surfing” 「カウチサーフィング」

この言葉は以前のブログで述べたことなので詳しく述べませんが、
簡単に言うと、海外を旅行する人が使うfacebook。

「これを使って、まずは友だちを作ろう!」とのこと。

そういう成り行きで、
異国からのバックパッカーを馬場下ハウスを招くことにした。

※もちろん、このときにも、
「もしやってきた外国人が、盗みを働いたらどうしよう…」
とびびっていたのはまちがいない

パラダイスのあとに残った、違和感。

結果的に、たった40日前後で、
11ヶ国から20人ほどのバックパッカーが来てくれました。

この出来事は、いまからちょうど2ヶ月前のことですが、
ずいぶんと前のことのように感じます。

当時の僕は「今までにない経験をした」と、
内心とても嬉しい気持ちでした。

でも、なにか違うような気がしました。
当時の僕からすれば、十分であったといえば十分です。
一緒にやってみたかったカラオケもしたり、
ご飯も一緒に作って食べた。
外国人と仲良くなるという目標は達成されたと思う。

ただ、どんなに仲良くなったとはいえ、彼らにとっては、
僕はネットでたまたま見つけた人に過ぎなく、
友だちかどうかといえば違うことに気づいてしまった。

ざっくり言うなら、
彼らにとって僕の存在は、
日本でお世話になった人。
それ以下でも、それ以上でもない。

なんか、悲しかったし、寂しかった。

「寂しいな。もう一度、会いたい。」

そう思い、Couch Surfingを使うことなく
次は自分が行く番だと決めた。

だから、行ったんです!!!!!!!!!!

おわり







2012年8月11日土曜日

No54. Gånger flyger


Nästa månad, jag kommer till Sverige! I mitt liv, detta är första gången att åka utomlands. Det är därför jag mör trevligt och vill att ser Max, Sara!! 

Kanske, jag kommer att stanna i Max huset om han tillåta. Detta är mirakel eftersom Max också bo på mitt hus!! Jag saknar dem.

Jag tror Sverige är snö mark. Jag kan dö av kyla. Så jag alltid tror  på xxtta!! Om gör den detta sätt, jag kan leva för evigt.

I denna värld,  jag är en första NINJA att åka till Sverige!
Super människa!!

Jag är Titta.

2012年8月9日木曜日

No53. カウチサーフィングを通じて感じたこと


”Couch Surfing”な毎日

6月から約2ヶ月間のあいだ、友人とシェアしている自宅「馬場下ハウス」にバックパッカー(ここでは、カウチサーファー)を招いた。友人とシェアしている自宅は木造2階建ての一軒家(4LDK)なのだが、一階をゲスト用に解放。


そして、カウチサーファーとして受け入れた人たちは、Couch Surfing(http://www.couchsurfing.org/)で世界を旅している人たち。僕もそこに仲間入りしたくて、そのサイトに登録したわけですが、登録した初日から10件近くのリクエストが来た。

おそらく、「東京都新宿区」という立地が良すぎるせいだと思う。結局、あっという間に6月のスケジュールが埋まり、ここ2ヶ月の間の「楽しくも教訓に満ちた生活」が始まっていた。

ここでは、この2ヶ月の間にどんな人と会い、どんなことがあったのかは記しません。その代わり、始める前と今とでは大きく変化した自分の価値観を書きたい。


”理由ばかり”の生活

彼らと出会う中で、はっきりと自覚したことがあった。それは、いままでの自分の生き方は、”理由ばかり”に囚われていたこと。大学進学も、バイトも、サークルも、ぜーんぶ理由を考えてから行動した結果だった。”明日の予定”という単純なことであっても、理由を考えてから過ごしてきた。

「なぜ」、「なぜ」、「なぜ」

こうした自分の生き方を自覚したのは、今回のカウチサーファーとの会話が起点であった。今回のゲストは、北欧と北米中心の来客。ぶっちゃけ僕からしてみれば、ヨーロッパのスロベニアやスウェーデンから日本に来る背景には、「すんごい理由があるからだろう!」と思ってた。でも、その思いは、現実とはぜんぜん違った。

カウチサーファーが来るたび、僕はこんな質問をした。

「なんで日本にきたの?」
「今日はなにするの?」
「明日の予定はあるの?」

日本人にこんな質問をしたら、みんな一生懸命説明すると思う。

「どうして日本を選んだのか、どういう覚悟で日本にきたのか、日本でなにをしたいのか。」ということを。そして、今日はどこへ行って、明日はなにがしたのかまで考える場合が多いと思う。

だから、僕が彼らに質問をしたとき、同じような答えが返ってくると思った。
でも、僕に帰って来た答えは、予想外のものだった。

「んー、わからない。おもしろいと思ったから日本にきた!」
「去年もきたけど、道に迷ってすぐ帰ったよ。」
「今日なにをするかは、わからない。外に出てから決めるよ!」
「明日のことは、明日決めよう。それがいい!」

誰も、日本に来た理由を真剣に考えている素振りを見せなかった。っていうか、今日のことでさえも、ちゃんと考えているのか危うかった。笑

僕と出会った人の多くは僕よりも3〜4歳年上であったが、誰一人として難しい理由を考えていない。

「〜という理由があって、それを〜したいから、日本にきた。」

こんな答え方をする人はいなかった。むしろ、質問をするたびに、彼らの”純粋なエネルギー”だけを感じることができた。

だから、こんな感じで彼らの話を聞いていくうちに、「なーんだ、生きていくのに、理由がなくたって幸せなやつは、いっぱいいるじゃん。俺は、複雑すぎる生き方をしていたんだな〜。そりゃ、大変だわ。」

そう思った。


ルールの多い生活

カウチサーファーのみんなと、歩きながらよく語り合った。日本語を使うことはほとんどなかったけど、自分なりの英語で必死にコミュニケーションした。そんなあるとき、あるカウチサーファーが、僕に言った。

「日本人は、大人も子どもも、学校の生徒みたいだね。」

彼女のその言葉を聞いたとき、頭をドカッと殴られたような思いをした。

「そっか。日本人は、外から見るとそうみえるのか。もちろん、子どもがそう見えるのはわかっている。でも、彼らからしたら、日本人の大人もまた、子どものように見えるのか。」

彼女の言葉には皮肉はなかったと思う。でも、彼女のその言葉は、端から見た日本人の特性をよく説明していると思った。なぜなら、電車・お店・家・デパート・会話のどれをとっても、「やってはいけない・やらないほうがいいこと」がたくさんあり、日本人の誰もがそれに従っている。しかも、黙々と。まるで、学校の先生に言われてやる生徒のように。

日本では、そういう姿を、「空気を読む」と言う。
黙ってやりなさい、言うことを聞きなさい、人が迷惑することはしなさんな。こういうことを自分たちにいい聞かせながら、日本の教育が行われていることは間違っていない。

しかし、日本に住まない国の人から見れば、空気を読んでいる人たちの姿は、まるで「学校の先生の言うことを忠実に従う生徒」だったんだと思う。もちろん、「空気を読む姿」の背景には、日本文化の中枢にある「思いやり精神」がある。決して悪いことではない。

ただ、「この思いやり精神があるから、自分たちは暗黙ルールに従っているんだ」ということを彼らに知らせなければ、日本人は「言いたいことも言えず、他人の言いなりになる子ども」と思われてしまうのだと思った。

「空気を読む」ということ。日本独特の感性であり大切にしていくべきものである一方、空気を読んでいる人の姿は「学校の生徒みたいな人たち」と見られることがある事実は、今後も自覚しておかないといけない。

自律か他律か。

「どっちでも大丈夫」
「〜と〜のどっちが欲しい?」
「たぶんどっちでも問題ないよ」

ここ2ヶ月、僕はこうした言葉を何気なく使っていた。日本では良く使われている言葉だし、他人を不愉快に思わせることもないだろうと思った。でも、こうした言葉を使っていくうちに、何度かカウチサーファーから言われたことがあった。

「どっちでも大丈夫じゃなくて、あなたが決めるべき。」
「欲しいものは自分で選ぶから気にしないで。」
「たぶん?たぶんってどういうこと?あなたが良いと思う方を聞いているの。」

こうしたことを言われて思ったことは、どこの出身の人とのコミュニケーションであれ、「自分で決めるべきこと・他人が決めるべきこと」をはっきり区別しないといけないこと。そして、自分の意志をはっきり伝えること。

これは「単なる会話」で済まされることではない。もし、自分が決めるべきときに他人の意思に従ってしまえば、自分の選択権は時間とともに失われて、あとから「自分で決めたい」と思っても手遅れなことがある。

バイトのシフト提出もそうだし、友達との遊ぶ予定もそう。また、仕事のミーティングでの決めごとや役割分担の場合も同様。自分が決めれるときに、それを他人に決めさせることは、「他律的」と言っておかしくない。

このように、カウチサーファーの人との会話ではっきりと気づいたことは、いつのまにか自分は他律的な考え方になっていたということだった。選択肢が多くあるときは、1つに絞り込むまで真剣に考えないし、選択肢があることを大切なとと考えることはなかった。

逆に、馬場下ハウスにきたカウチサーファーのほぼ全員が自律的であり、自分が選べる範囲では自分ですべてを決めていることにも気づくことができた。

そのため、カウチサーファーのみんなは、自分で選べるときに選ばない僕の行動を怪訝そうに見つめ、自分が選べるときには自分で選んだ方がいいと言ってくれたんだと思う。

もちろん、僕の行動の裏には、カウチサーファーの人たちが思う存分楽しめるように、思いやり精神を発揮していたつもりだった。でも、その思惑は思わぬ形で働くことが多く、日本人に通用するような思いやりは無用であった。

「思いやりを軸とした他律」と「権利を軸とした自律」。

どちらを使うかは個人の自由だが、思いやりを軸にすると、他律的な振る舞いになることをこの2ヶ月で一層自覚した。


以上。カウチサーフィングで感じた、ちょっとした思いはこの辺で。

他にもいろいろと感じたことはあるけれど、今ぱっと思いついたことはこの3つ。今後も参考になると思うため、ブログとしてメモらせていただきました。


あ〜今日も暑い…!!!



2012年8月3日金曜日

No52. 大学生活で学んだこと・得たこと



大学生活で学んだことを列挙。
良い点と悪い点、一気に。

【良い点】
・学ぶことと行動することは全く違う
・お金を稼ぐよりも大事なのは、誰のためにサービスをするか
・がむしゃらに動いても結果は出ない
・覚悟をしないと、自分の時間が他人の時間になる
・本当に人を助けたいのなら、公私をはっきりさせる
・キャリアアップや仕事は、欲への冷徹さが大事
・お金の消費と投資は、使ってみないと区別できない
・噛じるすね(親の資金源)が無くなって初めて、人の大切さを知る
・他人の非を咎める前に、まずは自分の非をなくすこと
・ゼロの意味を知る
・自分の言いたいことを言えないことは、人生の損
・決断の数だけ進化する
・効率的な生き方を知れる

【悪い点】
・お金のない家庭が無理をすると、健康保険がなくなる
・欲をなくせば、楽して生きれる
・幸せになる方法がわかる
・欝になる方法がわかる
・無感覚に借金をしてしまう(学生支援機構など)
・自分が相対化される
・ブランドや肩書き、大金に目が向かいがち
・家族計画が遅れる
・トレードオフ的価値観の獲得
・伝統的価値観から合理的価値観への転換
・自分の嗜好が急激に発達する
・どうやったら競争に勝てるかがわかる
・合理的経済人に近づくようで、実は部分的な伝統的価値観に支配される

大学生のときにちょっとだけ書いてたブログ
"chibiplanの日記" http://d.hatena.ne.jp/chibiplan/about
※受験生向けに書いたが、忙しくて長く続かず、そのままの状態。

2012年8月2日木曜日

No51. 大学に入ってよかった?



ジメジメとした暑き日に。

大学に入学して、4年数ヶ月がたった今。僕の最後のテストが終わった。
出来なんかどうでもよい。なぜなら、9月に卒業するのであるから。

東京にきてから、多くのことを知りました。家族、お金、教育、仕事、そして自分。最初の1年間はなだらかな波の中、ゆらゆらと揺れながら航海し続けた。でも、2年目(2009年4月)になる前に、ドカッと僕の船は座礁してしまったのです。

亡き父を知り、身近な人に裏切られ、自信を失う。

自分は、東京に来るまで「早稲田大学」というブランドに誇りを持っていた。自分のすべてを懸けてきた高校3年間に自信を持ち、当時の自分もまたそのブランドに相応しい人間であると考えていた。

しかし、入学から100人、300人、500人と、新しい出会いを重ねれば重ねるほど、この大学にいる5万人という数に圧倒され、立ちすくんだ。それと同時に、自分のプライドを捨てられないまま、虚栄心に阻まれ、自分の本当の気持ちを出せずにいた。

そして、亡き父の死に様を知り、驚嘆した。いままでに聞いたこともない、いや死ぬまで出会うことのないであろう境遇を生きてきた父の話を聞き、生のあるべき姿を考えるようになった。でも、考えれば考えるほど、自分のアイデンティティの不在を知り、困惑してしまった。

さらにこの頃。ある仕事を他人から任され、それに自分の物的資源をすべて投入した。でも、それは失敗に終わり、雨の日に捨てられた子犬のような状態に陥ってしまった。心はポッキリと折れ、生気を失い、自分の意志で行動をしなくなってしまっていた。単なる、反射的に動く生き物に成り下がったのであった。

殻に閉じこもった3年間に耐え切れず。

それから3年が経った今年の5月。ダンボールのなかにじっと座っている自分を、誰かが拾ってくれるのを待つ生き方をやめた。外に出たい気持ちを我慢して、じっとしている生きるなんて、もう懲り懲りだった。だから、それまでお世話になっていた会社をやめ、自分の住む環境も変えた。そのときは、そんなことまで予期してなかったけど、今考えてみれば、自分の生活を変えようとする自分の気持ちの現われだったのだと思う。

そして、そのときから始めたのが、このブログだった。自分の思っていることを吐き出す緩衝材。自分の思っていることをそのまま誰かに伝えては、その人を困惑させてしまう。だから、このような間接的な形で、思いを吐き出すことにした。いままで、絶対に誰にも話さなかったことや話したくないことまで。ありとあらゆるわだかまりを無くすためだけに、毎日毎日綴っていた。

でも、それからちょうど一ヶ月経ったとき、ある一言に心を突き刺された。

「それは、何もしていないのと一緒。」

そのときの僕は、自分の気持ちをひたすら言葉にしていた。できるだけ、その思いが忠実に言葉になるように、一言一句、念を入れて文字を打ち続けていた。ただ、自分でも、そのことがどのような方向に向かっていくかなんて考えもしなかった。だから、その言葉を言われた瞬間、なにか行動を起こさないといけないと、心の奥底で感じていた。

「この3年間、なにを一番恐れてきたのか」

その時から、自分の思いを吐き出し続けることだけの生活をやめ、新しい問いと向かい合うようにした。「僕は、この3年間で何を一番恐れてきたのか。」、「なぜ3年間も、小さな殻の中にこもっていたのか。」答えは、とっても簡単なことだった。

「お金を使うこと」

僕は、この3年間、お金を使うことを一番恐れていた。それは、お金がなくなって生活できなくなることを恐れていたわけではなく、毎年「国の教育ローン」から借りているお金を返すためにお金を使わなかったわけでもなかった。お金を使うことを恐れていた本当の理由は、「自分が”せっかく”稼いだお金を使うのが、嫌だった。」その気持ちが、自分のなかから拭い去れなかったのだ。

誤解を招かないように言うと、これは単なるケチということではなかった。この背景には、実家の年収が100万円台であり、自分がとっておいた貯金がいつの間にかなくなるような家庭事情があり、大学2年秋からの学費がすべて借金によって成り立っていること。そして、家族5人のうちの、たった自分一人だけが普通高校を卒業し、大学に入学したことが大きく関わっていた。すなはち、家族の中で一番お金を使っていたのが自分であり、家族のお金を絞るように蝕んでいたのが自分の学費であったことが、大きく影響していた。もちろん、そうした背景ゆえに、大学2年から仕送りは一切なかった。

どうにか、お金を使うことに対するビビリをなくさなければならない。

僕は、自分が本当に恐れていたこの現実と向き合うことにした。自分のお金が、砂浜の貝殻ですくえるほどしかなくとも、お金を使うことを恐れてはいけない。なぜなら、それが自分の行動範囲を狭め、自分の思いを阻み、自分の存在を小さいものに変えていったからだ。

こわい…こわい…こわい。

僕は、今でもお金を使うのが怖い。でも、この問いと向き合わなければ、年をとってから乗り越えることは無理だろう。そう思っている。だから、この秋、自分のお金を投げ捨てることにした。







2012年7月17日火曜日

No50. School fee is for free?



In most of countries in Europe, school fee is free!! it's amazing for me, because education cost is high in Japan. So most of family in Japan may earn money for education. In fact, the same case applies in my family. My mother paid much money only for me. its price is 5~6million yen, equals to 60~70 thousand USA dollars during my high school n UNI. I think it is high cost.

Of course, there are good points in Japanese education system. For example, all of students always think that there are much money needed for education in Japan. So most of us study harder than not. Also, in university, most of us do working more than studying because we worry about our paren ts' money. Usually,our parents pay all of the school fee. but some of parents(mother or father ) can't pay like my family(in my family, my father died at my age of 6). In this case, we borrow money from government or corporation for lending money. anyway, we can cope early with difficulty in making a living. This means that we can learn how to make money and what is best for ourselves.

By the way, I wonder if there are any problems in case of countries where there are no school fee. If any problem, what is it and what kind of education system is better than it ? Then how about other countries?: Russia, South Europe, Africa, South America and so on. I'm just interested in them now.






2012年7月14日土曜日

No49. 「寂しくないけど、寂しい」



「もっと話しておけばよかったぁ。」

やっとたどり着けた。この気持ちに。僕は、誰かと出会って、その人にまた会いたいと思うことはほとんどなかった。(親族やそれ相応の人は除く)数年ぶりに会った人であれ、自分のことを大切にしてくれている人に会った人であれ、僕はその人と別れることの寂しさを感じることはなかった。「べつにまた会えるし。」そんな気持ちが、いつもどこかにあったから。

「もう一度、会いたい。」

いまの僕は、これまでとは違う気持ちを持つようになっている。おそらく、こどもの頃なら誰でも感じる、遊園地を恋しく思うような気持ち。

ちょうど、このブログの更新がとまったころから、僕は色んな国の人と出会うようになった。高校卒業してから2年間、色んな国を旅している人。ゲームを作るのが好きで、母国だけでなく日本でも仕事を探している人。日本での留学を考えていて、計画を立てずにぶらっと遊びに来た人。後輩たちをOpen-mindにするため、はるばる日本にまで遊びに来た人。それぞれが、目的は違うけれども、日本では出会ったことのない人ばかり。

スロベニアのTjasa、フィンランドのTuomas。
フランスのガブリエル、スウェーデンのMax。
ポーランドのTomasz、よさこいの佐田さん。
デンマークのSigne、Lotus、Rosa。

みんな、ほんとに、ほんとに元気で。僕はだいぶヘトヘトでした。笑 でも、日本の良さを伝えることができたと思う。”侘び寂び”を感じさせる「馬場下ハウス」、”オタク”にはたまらない「中野」、東京の門「浅草」。ただ、それぞれの人の興味関心がバラバラだったから、初対面の人に自分の住む国の良さを伝えることってむずかしかった。日本のウォッシュレットにびっくりする人もいるし、幕の内弁当に驚く人もいる。特に、みんながびっくりしていたのは「日本人のおもてなしの心」かな? ちなみに、今回の来客のために僕が心がけたのは5つのこと。

一、和風を楽しんでいただくこと(遊)
一、和食を味わっていただくこと(食)
一、和室で過ごしていただくこと(住)
一、和を感じてゆっくりしていただくこと(休)
一、和を母国に持ち帰っていただくこと(思)

僕は、馬場下ハウスにきてくれた他国の人に対して、「家族」・「友人」・「恋人」に対する計らい以上の待遇を施していたように感じます。お金の面でも、時間の面でも、彼・彼女らと常に一緒にいるように心がけた。もちろん、彼らがゆっくりしたそうなときには、いつもこのように伝え、そっとしてあげました。

「Take your time! I think you are my family member during staying here, so I want you to be at home! Anything is OK!」

いくら日本を感じてほしいとはいえ、言葉なくしてくつろいでもらうことは非常に難しい。だからこそ「してほしいこと・してほしくないこと」は、しっかり伝えた。

次は僕の番

いまはもう、みんなはそれぞれの国に向かった。めっちゃ寂しいし、もし自分が行かなければ「もう会えない」と思う。だからいまの僕は、決心している。「次は僕がゲストとして、みんなの母国へ行く」。僕は自分をOpen-mindに変えたくて、このブログをはじめ、Back Packerのみんなと会うようになった。だから、次は自分の体を動かして、行動するときなんだと思う。そう信じている。

2012年7月11日水曜日

No48. みんな、幸せになりたい

 

前回のブログを更新してから、約20日が過ぎた。その間、ちょっぴり嬉しいことがいっぱいあった。照れ臭いようで、誇らしいような。ふわふわした、素敵な出会い。

Max、Tuomas、Tomasz、Tjasa、Lotus、Signe、Rosa。

Couch SurfingというSNSを通じて、僕の住むシェアハウスに、バックパッカーたちが遊びにきてくれた。誰一人として同じような人はいない。髪の色も違うし、肌の色も目の色も違う。でも、みんな、ぼくと同じものを持っていた。

幸せになりたいって思う気持ち!

価値観はもちろん違うし、他人に対して気遣う程度も全然違う。だけど、みんなリラックスしたいし、今の時間を大切にしたい。料理を食べるにしても自分の好みに合わせて食べたいし、おしゃべりをするにしても面白い話がしたい。

彼、彼女らと話していて、そんな気持ちをいつでも感じた。

そして、幸せになりたい!という気持ちを他国の人から感じるとともに、僕の心の中では、別の新しい気持ちを感じるようになった。

日本のことを好きになってもらいたい。

どの国の人からも日本はすごいねって認められたい。食べ物も美味しいし、人も素敵で、街も面白い。そう言ってもらいたくなった。

もちろん、彼や彼女らは日本を好きになりたくて、日本に来たわけではない。単に、楽しむためにきただけ。

だから、来てくれた人たちに不愉快のない形で日本を堪能してもらいたい。お昼ご飯を一緒に食べるにしても、高い値段の食べ物のほうが日本らしい料理が多い。でも、彼・彼女らは、可能な限り安くて美味しいものなら何でもいい。だから、日本を代表する神社やお寺、アニメ・漫画、サブカルなど、日本の面白みを味わえる場所に出向き、外食はジャパニーズ・ファストフードに限る。

まだまだ語り尽くせない事はあるけれど、眠気に勝てなくなってきたので、ここで一旦休憩。







2012年6月24日日曜日

備忘録


【客人リスト&予定@馬場下ハウス 】
6/24~25 Damian (ドイツ)
6/25       どんぶり氏の後輩たち
  (小川くん&他数名)
6/27~29 Berta (スペイン)
 Max(スウェーデン)
7/2~5     Tuomas(フィンランド)
7/3         早稲田応援部3名
 (早稲田の誇り)
7/9~12   Lotus, Rosa, Signe
 (デンマーク)
7/19~20 Jake, his girlfriend(中国)
7/20~27 テスト週間
(さようなら早稲田)
8/1~31   あげお海外渡航(1〜2週間程度)

2012年6月22日金曜日

No47. 早稲田の宿 ”BABASHITA HOUSE”


早くも3ヶ月。

千葉の西船橋から馬場下に引っ越して、3ヶ月が経った。以前は一日2食の一人暮らし。一杯200円程度の牛丼が、僕の心を潤していた。

【当時の生活費】
食費30000円
交通費5000円
通学時間50分
家賃63000円
光熱費7000円
計:10500円

一人暮らしのときは、コスト面が高くストレスフルな生活。虫もでるし、夏は暑く、冬は寒い。家に帰っても、飯はないし、買いに行く場所も近くにない。”Oh my god”な毎日だった。

馬場下ハウスに来てから。

しかし、今となっては、それは過去の話。馬場下にきてから、コスト面のみならず、自分の心を潤してくれるものが変わった。まずは、全面的なコストダウン。

【いまの生活費】(前年比)
食費15000円 (↓15000円)
交通費0   (↓5000円)
通学時間5分    (↓45分)
家賃32500円 (↓30500円)
光熱費8000円  (↑1000円)
計:55500円 (↓45000円)

特に、食費が抑えられているのは、一緒に住む”丼野郎”と”ボクサー”のおかげ。3人とも、低コストの食材で、3人分の料理をつくる。これにより、単品で作ったときよりも食費が浮くのだ。ちなみに、それぞれの得意料理は、丼野郎は海鮮系、ボクサーは天ぷらと肉食系、僕は「大根おろし」一品である。


心を潤してくれるもの。

そして、今の僕を潤してくれるのは、これだ。”飯うま”と”来客人”。

”飯うま”といえば、海鮮丼や天ぷらをはじめとして、品川揚げ・3種の肉料理(鶏肉、豚肉、牛肉)・コッチュジャンクッパ・青葉巻きなどがあった。ちなみに海鮮丼のネタは、「大トロ、中トロ、うに、いくら、エビ」。ヨダレの出る最高傑作であった。


”来客人”は、早稲田生や他大生はもちろん、高知から出張中の方、作家志望の方、飯だけを食べにくる乞食どもなど、さまざまである。リピーターはやはり、この3人。イタリアン系男児(しぶ)とアジアの巨乳(よしみ)、早稲田応援部の孤高(ぐれこ)である。リピーターには、ほんとに感謝している。

日本人だけに収まらない、馬場下ハウス。

今週日曜に、ドイツの方が馬場下にくる。えぇ、緊張します。いままで馬場下に、他の言語を扱う人はいなかったため、僕たちは戸惑うだろう。僕自身、英語を話せた試しないし、家に泊まるなんて考えたこともない。でも、たのしみだ、ドキドキ…。来月にも、デンマークの女の子3人組とアメリカのカップルが来る。「日本に来てよかった!」って、言わせたいものだ。はっはっは。

最高の思い出に。

と、まぁ惚気臭い話をしてしまった。でも、”僕らは今日も生きている”的なニュアンスも込めて、「馬場下ハウスは今日も幸せだ」。あと1ヶ月で、大学生活は終わってしまうけれども、いまの幸せをしっかり噛みしめたい。もちろん、馬場下生活はまだまだ、つづく…

木製ソファを壊して動揺する丼野郎

2012年6月21日木曜日

No46. "あなたのことが羨ましい"


「もっと生きたい…」

袖を濡らしながら、
そんな言葉をつぶやきたい。

僕という人間は、自分の心と向き合うのがとっても下手なんだと思う。だから、心の充足感に気づかない。他人の心や周囲の期待に応えることは、得意。自分の気持ちを考えなくいいから。でも、自分の感じるものに気づくこと、それはむずかしい。

自分と他者、両者からのOK。

ここ15年間、「自分からのOK」と「他者からのOK」のバランスが、とれていなかったかな。小学時代は、前者がいちばん。中高・大学時代は、後者がいちばん。どっちにしても、その後の反発は大きかった。いまの僕は、「自分からのOK」を得たい。精神的な飢餓感があるから。これからの人生、その繰り返しなのかもね。

自分からのOK:自己実現

自分からのOKとは、なんなのか。具体的には、自分の気持ちに通じる振る舞いができること。

母「りんごとミカン、どっちが好き?」
子「りんご!」

母「りんご、たべたい?」
子「たべたい!」

母「じゃあ、どうぞ。」
子「いただきます!」

相手からどんな質問をされても、「自分はこうなんだ。」「こうしたいんだ。」って心から言えたり、そのように振る舞えること。

他者からのOK:他者からの承認

一方、他者からのOKは、なんなのか。具体的には、他者から最終的に認めてもらうこと。

自分「◯◯で働いてる。」
友人「すごいじゃん!」

自分「結婚したんだ。」
友人「おめでとう!」

自分「子どもいるんだ。」
友人「いいな〜!」

自分のことを伝えたり見せたりすることで、誰かから驚かれたりほめられたりすること。

もっとしあわせを感じたい。

正直、いまの僕は、他者からのOKを第一義にすることはない。自分の感じるものに、もっと向き合いたいから。

長生きしたい…
きれいなものを見たい…
ひとに会いたい…

そんなことを思えるようになりたい。これが、いまの僕のねがい。

2012年6月20日水曜日

No45. 「知らなかったでは、すまされない」


今年は、死んでも渡航する。

そんな心持ちで、渡航に向けた下準備をしてる。「知らなかったでは、すまされない。」これが、渡航において重要なことだろう。以下、いろいろ調べてみた事を、載せてみる。

フリーターには、取得できないビザがある。

タイへの渡航を計画していたのだが、大学生のうちに渡航を一度経験した方が良い事がわかった。フリーターになってからでは、取得できないビザがあるからだ。ビザには種類がいくつかある。でも、一番ハードルの低い観光ビザでさえ、フリーターへの風当たりは強い。※ビザなしでも30日以内の出国予定であれば、入国可。
参考URL:「タイ王国.com」(http://www.thaiokoku.com/fundamentals/passport_visa.html)

携帯は、現地調達か、契約変更。

こんなの、当たり前なのだろう。日本向けのパケ放サービスは、国外では機能しない。それを知らずに、渡航先で携帯を使うとアウト。数十万の法外な通信料が請求される。僕は、知らなかった。渡航先でも、パケ放だと思っていた。用心。
参考URL:「J-CASTニュース」(http://www.j-cast.com/2008/11/12030240.html?p=all)

海外でも使える、日本の国民健康保険。

「診療内容証明」と「領収明細書」があれば、帰国後に7割が還付されるそうだ。(国民健康保険が認める医療と金額の範囲において)もちろん、クレジットカードや海外旅行保険でも、治療費の完全負担を免れる。身と財布を守るべく、要チェック。
参考URL:「タイの病院」(http://www.zizaizin.com/タイ-ロングステイの手引き/タイの病院-治療費の支払/)

2012年6月19日火曜日

No44. ”武者震い”はとまらない


パスポートの申請。

今日一日で、パスポートの申し込みを済ませた。その際、はじめて戸籍謄本を取得した。家族構成、旧姓、生年月日。あらゆる情報がそこには記載されていた。もちろん、父の情報はあったものの、”除籍”となっていた。母は、どのような気持ちで、この戸籍謄本を見ていたのだろうか。そんなことを考え、手続きを済ませた。

臆病な、小僧。

パスポート申請には理由がある。それは、一歩を踏み出すことだ。残念ながら、大学時代の僕はひどく臆病者であった。ふだんは大風呂敷を広げて「なんでもできる」と調子に乗っていた。地方に出向いて働く学生を軽くみたり、海外に憧れて旅行する学生を影で笑っていた。ときには、アメリカにインターンに行く友人を見て、「俺も金がありゃ、できるわそんなもん」と舐めてかかった。

しかし、自分の事となると、状況は一変した。たった3万円相当の旅行でも、翌週の食費や学費が足りなくなることを恐れた。「なくなったら、どうなる」、「いまは我慢だ」。言い訳ばかりを考えていた。しかも、パスポートに必要な1.6万円を出すことでさえ、4年間渋り続けた。武士で例えるなら、ふだんは刀を腰に据えて道を闊歩するものの、いざ戦となると、途端に刀を隠し農民に変ずる、情けない奴であった。

なるべくして、小僧になった。

たしかに、「お金がない」というのは事実であった。実家の所得は、年間150万円程度の遺族年金のみ。母は、危篤状態の祖母を看病しているため、働けない。もちろん、遺族年金があるため生活保護の対象外。この事実を、大学1年のおわりに聞いたものだから、一瞬で”小僧”になってしまった。ビクビク、震えながら、4年間生きてきた。

小僧は、カッコ悪い。

でも、いまの僕は、”小僧”をやめた。なぜなら、小僧はどこまでいっても小僧にすぎず、ちいさくなるだけだったから。いっそのこと、環境ごとガラッと変えたほうがいい。そのぐらいの覚悟になった。

家族のこととか、お金のこととか、名誉のこととか。こんなことを考えて、縮こまってても、なーんにも、僕に与えてくれない。与えてくれるのは、不安だけ。だったら、与えられる生き方はやめて、自分から飛び込んでいこう。もっと、もっと、進んでみよう、と。

”武者震い”はとまらない

いま、自分が持っている刀では、戦場のいつ・どこで折れるかわからない。もしかしたら、刀を交えた瞬間に折れるかもしれない。その恐怖を感じながら、いま、立っている。


2012年6月14日木曜日

No43. 「3K」×「不安定」=「フリーター」



フリーターになることの危うさ

当たり前なことだが、楽な人生を送りたければ、フリーターは絶対にやめたほうがいい。フリーターという選択肢は、就業機会・生活設計・キャリア形成の3点において”マズイ”からだ。

就業機会:「年とっちゃうと、限られてくる」

30代になって「正社員になりたい」と思ってもなかなか就職できないと思う。僕は若造であり、まだそのような経験をしていない。でも、わかる。フリーターしか経験していない労働者は、面接にも応じてくれないだろう。そんなもんだと思う。特に、「とりあえず〜」、「なんとなく〜」という優柔不断な意思決定のもとで生きた人なら、尚更そうなりかねない。

生活設計:「結婚したいんだけど・・・」

フリーターのデメリットは、就業機会のみに限らない。結婚相手の親にも不審に思われ、子どもにも心配をかけ、マンションを買うにも銀行からお金が借りられない。さらには、親が病気になったら、入院・介護費用もかかる。ここまで考慮にいれると、フリーター人生は、最悪である。だから、何も考えずにフリーターになってはいけない。こうした最悪の事態を、覚悟しないといけない。

キャリア形成:「ひとりでは食っていけない」

デメリットの極めつけはこれ。フリーターという職業経験では、生計を立て得る職業能力は身につかない。フリーターで全うできる経験のほとんどが、入門レベルに終始してしまうことが多い。そのため、フリーターという生き方にどれほどの価値を見出すことができても、そこには正社員ほどの成果を得ることはできない。残念ながら、フリーターに任される職務範囲では、キャリア形成にまで結びつく体験は少ない。だからこそ、フリーターになる以上、自分自身でキャリア形成を行わないといけない。

総じて:フリーターになるって怖いことなんだ。

1時間ほどかけて、図書館で「フリーター」について調べた。1冊1冊、読み進めていく上で実感したことは、「フリーター人生は”マズイ”」ということだ。おそらく、なにも考えずにフリーターになると自滅するんだと思う。

一日、一日、気づかないうちに足場が崩れていく。最後には、いま立っているところにしか立てなくなってしまう。フリーターであり続けることは、こういうことなんだと思う。もちろん、フリーターという立場を利用してキャリア形成を積めば、問題ないだろう。ただ、”なにもしなかったら、どうなるのか?”という問いは、今後も考え続けなければならない。


参考文献
『ニート・フリーターと学力』佐藤洋作、平塚眞樹
『フリーターという生き方』小林礼子
『「働きたくない」というあなたへ』山田ズーニー

No42. ”14歳”が再びやってきた


 

これこそ、14歳の強さ。

”14歳”といえば、中2。あのときから8年たった今、久しぶりに中2になった気分だ。あらゆることに対して反抗期。「当たり前」と思うことに疑問を持ち、「押し付けられた概念」は吹き飛ばす。正論を嫌い、ニッチなことを好む。大多数の意見を嫌い、争い事はしない。じっと、活躍の時を見計らう。

中2病が、唸りをあげる。

一般的に、こうした状態を中2病と言いますが、認めます。僕も中2病です。しかも、中2病とバカにされても、怖気づかない重度です。役立たずと言われようが、カッコ悪いと言われようが、構いません。なぜなら、自分に自信を持つキッカケを見つけることができ、一人になっても歩き続ける強さをもてるからです。もちろん、この中2病は、今に限ったことではなく、これからの人生のなかで何度もやってくると思います。特に、心が折れそうなときや、見通しの立たない状態になったときに。

灯台もと暗し。

ただ、中2病で用心すべきは、木を見て、森を見ずという状態である。中2病でよくあるダサいことは、我が強くなりすぎて客観性を失うこと。徹底的なこだわりを持ちすぎて、反論や批判に耳をよせないことである。一度こうなると、自滅する。第3者のみならず、関係者からみても思考の幅が狭く、考えが浅くなる。結果、感情だけが爆発し、言動が突発的になってしまう。非常にこわいことである。こうなるのは、絶対に避けたい。

中2ファンタスティック。

しかし、この弱点さえ潰せば、中2病はプロテインみたいなもの。一度かかってしまえば、大したことでは心は折れない。「バカじゃねえの?」、「うまくいくわけないだろ、アホ」、「君、失敗するよ」と言われても、効かない。中2病に聞こえてくるのは、いつか言われるだろう「すげえ」、「桁外れだね」、「勝てねえわ」という賛美。いまの評価に動じないこの強さは、ハンパない。いまの僕は、これに似たような状態を保てている気がする。「クズといわれてもいい。」そんな心持ち。

中2病になったわけ

ちょっとだけ、精神論的なものを書きすぎた。でも、ここで改めて考えたい。なぜ中2病になったのか?結論からいえば「目先の結果にこだわる生き方を捨てたから」である。ここ1週間、自分の生き方についてずっと考えていました。

「大卒という特急券を使わず、フリーターという普通列車でよいのか?」

家族からの忠告もあり、僕は大学4年間、特急券をずっと握りしめていた。時には、特急券を捨てようと思ったときもあった。でも、捨てたあとに誰からなんて言われるのか怖かったし、使うのが当たり前と思っていた。しかも、特急券のおかげでキラキラした地位を手に入れている先輩も多かった。だから、ずっと捨てられなかった。

でも、今の僕は、特急券は使わないことにした。なぜなら、僕が中3のときから憧れ続けた生き方は「普通切符からはじまる人生」だったからだ。この生き方は、僕にとって大事な理想である。その理由は、僕の高校受験にまで遡る。

ある本との出会い。

僕は、高校受験で失敗した。4戦3敗。受かったのは、受験当日に「こんな学校、受かっても行かねえよ。」と笑っていた学校だった。第一志望校の不合格が決まった当日、中学で使ってきた参考書を家の壁に投げつけ、地面に頭をすりつけて泣いた。悔しくて、悔しくて、涙は止まらなかった。クシャクシャにしたプリントを地面に叩きつけながら、不合格になった自分を恨んだ。

「自分はこれからもずっと失敗しつづける。だめだ、だめだ。」

そんなとき、ある1冊の本を、母が渡してくれた。それは、稲盛和夫さんの「君の思いは必ず実現する」という本だった。

僕に届いた、稲盛さんのことば。

稲盛さんは、当時の僕と似た境遇にあり、失敗ばかりの10代を過ごした人だった。1ページ、1ページと読み進めていくうちに、自分と稲盛さんが重なっていくような気がした。

なぜなら、稲盛さんの10代のころの考え方は、僕の考え方と似ていたからだ。失敗するたびに、他人や環境のせいにして、不満ばかりを口にする。がんばって努力しても、また怠けて、人の期待を裏切る。まるで、僕のことが書かれているようだった。そして、その考え方から卒業した稲盛さんの言葉が、僕の胸に刺さった。この言葉は、23歳の稲盛さんが、自分を変えようと決断したときの言葉です。

「世の中をすねてうらんでも、自分の人生がうまくいくわけがない。たしかにいままで運が悪く、何もかもうまくいかなかった。でも、きっと神様は人生を公平に見てくれるだろう。だから23歳までは不幸だったかもしれないが、これからの人生の中で神様はわたしに幸運を授けてくれるかもしれない。だから、これからは人生を前向きに明るく生きていこう。」

稲盛さんのような人になりたい

この言葉を読んで、当時の僕は稲盛さんのようになりたいと思い、大学受験で成功することを決心した。幸運にも、努力は報われ、大学受験は成功した。稲盛さんに、感謝御礼でした。しかし、若さというものは「浅はか」なるかな。愚かにも、大学に入ると稲盛さんの言葉も忘れ、僕は遊び続けました。

もちろん、仕送りは貰わずバイトに精を出したものの、その生き方に稲盛さんのような信念はなかった。4年の月日はあっという間に過ぎ、22歳を迎えた。当然のごとく、他人や環境のせいにして努力を怠る自分に戻っていた。

「これでは絶対にいけない。元も子もない。一生後悔してしまう。」

4年が経って、やっとあるべき姿に気づき、原点回帰した。そしてもう一度、稲盛さんのような生き方を目指そうと思ったわけです。

「フリーターは、破綻寸前の会社に入社した若き稲盛さんと同等の道。誰もが憧れる道ではなく、だれもが歩ける道。この道から懸命に歩きはじめよう。」

普通列車での出発

こうして僕は、特急券を使わず、フリーターという普通列車に乗ることを決めた。そして、いまの僕が”14歳”のような気持ちでいられるのは、この列車に乗る前の高揚感のおかげだ。行き先もわからない、ゆっくりとした普通列車。後ろからどんどん特急列車が過ぎていく。間違いなく、この普通列車の数年先には、挫折が待ちかまえている。

それがわかっているからこそ、”14歳”のような気持ちに酔い浸ることができる。とてつもない不安と焦りが、武者震いを起こさせ、気分が高揚する。すごくいい。

誰にだって、これから先のことはわからない。それでも僕は、目先のことにこだわることなく、稲盛さんのような生き方をしたいと思う。

「僕の思いは必ず実現する」

遅くたっていいんだ。いつか神様は幸運を授けてくれるかもしれない。
だから今は、稲盛さんと同じく、前向きに明るく生きていこう。

2012年6月12日火曜日

No41. ”ウソ”からの逃走


ある言葉に、違和感。

今日、朝の11時ごろから大学の自習室にこもり、このブログを見返した。我ながら、恥ずかしいことをいっぱい書いてることに気が付き、「消したい」という衝動に何度もかられた。

それを我慢し、じっと見ていると、No37.”行動”と”思い”の断絶「思いを突き通す勇気がなかった」という言葉が気になった。なんか、違うな〜、と。

なぜなら、僕の性格は、誰かと意見が対立した際、相手が折れるまで自分の意見を突き通そうとするタイプであるからだ。自分が書いたものにツッコミをいれるのはおかしな話だが、「勇気がないわけではなかった」と思った。

そして、ふと思った。「勇気があるなら、なんで4年間もずっと、自分の思いに沿った行動をしなかったのだろう?」その問いを、自分に投げかけた途端、凄まじいことに気がついた。

自分に”ウソ”をつくのは日常。

自分にウソをつかない人には理解できないかもしれませんが、大学時代の僕は、自分にウソをつくのが当たり前だった。入学してからの数年間、友だちや家族と話している時を含めてどんな時でも、自分にウソをつき続けてきた。もちろん、ひとりでいるときにも、自分の思いにウソをついて、欲望をねじ伏せた。

というのも、自分の思いのせいで誰かと対立するより、自分が先に折れたほうが楽だったし、他人との揉め事も起こらなかったからだ。そして、そのほうが人間関係もうまくいくと思った。「人と対立しなければ、自分の思っていることはどうでもいい。ウソも方便」と思っていた。

自分を裏切った、”ウソ”。

しかし、今はそう思えない。なぜなら、自分の気持ちをダマしたことで、思いを叶える意欲がなくなったからだ。思いとは違う行動をとり続けたせいか、自分のことでも他人事のように感じ、どんな失敗をしても悔しさを感じなくなった。さらに、自分のために頑張るエネルギーがなくなり、一生懸命になることの意味を失った。数年もの間、自分の思いを裏切り続けることで、こんな状況になってしまったのだ。

”ウソ”からの逃走。

そんな自分を変えるため、僕はいま、自分の思いをブログを通じて毎日発信している。少なくとも、思いを発信することでその思いを自覚し、自分へのウソを最小限に抑えようとしている。もちろん、ブログに書く内容は一切妥協せず、自分の思いに忠実でありたい。なぜなら、このブログの指揮官は僕自身であり、世間体ではないからだ。世間体を気にしていたら、元も子もない。それだけは、気をつけたい。

P.S.

ちょっと強気になって「指揮官は僕自身」とか言ってしまったが、ブログを更新するたびに内心びくびくしていることだけは、読者の方にも伝えておきたいです。時々、強気なことを言ってしまいますが、僕はブログを更新するたびに「穴にもぐりたい」とぶつぶつ呟いていることだけは認めます。

今日のブログは話のまとまりがなかったことを、明日反省したい。約2時間後にせまったサッカー日本代表戦で落ち着きがないため、この辺にします。

2012年6月11日月曜日

No40. ”怖い”ものは”怖い”



何も決まっていない、その怖さ。

これは、一昨年ごろから強く感じるようになった。幼い頃は、そんなこと気にせずに、欲しいものを手に入れ、やりたいことをやる。その強さがあった。今は、その勢いが衰えかけて、何も決まっていない状況に怖さを感じている。「どうせ死ぬんだから、なんだっていいじゃん。」と思う自分がいる一方で、「なにをしたらいいんだろう。」と思う自分もいる。

大切にしたい、この怖さ。

こうした気持ちは、なにもしていない時にしか、基本的には生まれないと思う。なぜなら、なにかをしていれば、それに心を奪われ、不安なんか感じている場合じゃないからである。いまの僕も、この怖さを今すぐなくそうと思えば、すぐになくせる。なにかに心を傾ければ、それでいいから。

でも、なぜかいまは、この怖さを感じていたい。この怖さを感じているとき、挫折した人の心情や失敗した人の心情を普段以上の感度で感じることができる。「どうしよう、どうしよう」と思いながらも、自分の目の前にみえる光景は、頑張っている時とは違う形でみえる。だから、いまはそれを感じて、そこからなにかを学びたい。この怖さを、大切にしたい。

過去に戻っても、怖いのだろう。

いま、この瞬間に過去に戻れたとしても、この怖さは変わらない。なぜなら、過去に戻っても、なにをしたらよいかは何も決まっていないからである。皮肉なことに、過去に恐れなかったことを、今になって恐れるようになった。情けない話だ。結局のところ、この怖さは、自分が勝手に創りだしているものなのである。つまり、自分が勝手に恐れるようになったものであって、なぜか自然と身についた感情である。

もちろんこの感情が、どのようにして生まれたかは、わかっている。それは、これまでの十数年間で、なにもしていないことを恐れる人たちを見てきたからであり、「なにもしていないことは良くないことだ」と教育されてきたからである。そのため、自然と他人の目を気にして、なにもしていない時間を恐れるようになった。その結果として、10年前と比べて、目の前の光景は大して変わっていないのに、全く同じ光景を見て怖がっているのである。自分は何やってんだか。いや、他人ごとではなく、僕はこの事実を自分のこととして受け止めないといけない。

この怖さと、うまく付き合う

それでも、いまの僕は、この怖さをなくすつもりもないし、悪いものだと思っていない。それは、この怖さがあることで、ある程度の緊張感を持つことができ、一日を大切に過ごすことができているから。昨日だって、この怖さのおかげで自分を追い詰め、「このブログでしたいことは、好き嫌いを見つけることなんだ!」と気付くことができた。今日もそう、朝からなにもしていないことを勝手に怖がることで、「あ、俺、こんなに怖がってるけど、10年前と状況は同じじゃん。見た目は大人、中身は子ども。笑」という決定的な事実に気付くことができた。

好きだよ、怖がるの。

結局のところ、この恐怖があるからこそ、自分がしている事の意味や物事の本質に気付くことができる。取り越し苦労にはあらず、取り越し恐怖。僕は、この恐怖が大好きである。







No39. なぜ”フリーター”なのか



思いを言葉にする事と”フリーター”になる事は別物

”好き”と”嫌い”を発していくこと。これによって、自分の思いを言葉にする目的を達成することができる。僕の中では、ここまではハッキリとわかった。しかし、自分の思いを言葉にする時間が欲しいから、”フリーター”になりたいというのは別物。なぜなら、フリーターでなくても、それはできるからだ。だったら、僕はなにがしたいんだろう。フリーターになって、なにがわかるんだろう。

”叶えたい夢”


今年の5月16日に書いたブログでも書いたように、いつか「15歳のときの自分が救われたように、その年代の後輩たちを手助けしたい」という夢を叶えたい。15歳の時、僕は「このままの生き方ではいけない」という危機感を抱いていた。自分の意志をもつことなく、誰かに自分の生き方を委ねて、責任転嫁をし続けていた。当時の僕は、そんな自分の生き方に終止符を打ちたかった。

そんなとき、「稲盛和夫さんの本」と出会った。結果的に、自分自身の力で人生の舵を握ることができるようになった。これは、当時の僕が歩んできた人生のなかで、最大の転機でした。この転機、この人生を変える瞬間を、当時の僕と同じ10代の子たちに届けたい。これが、僕の今の最大の夢である。

”夢”を叶えるには

「どうやったら、この”夢”を叶えることができるのだろうか。」僕はこの問いを自問自答し続けている。そこで、今の僕の中でひとつの答えが出ている。それは「社会的地位が低く無力な状態から、努力と失敗を重ね、大きな成功をつかむこと」である。僕は、この種の成功体験が絶対条件として必要だと思っている。なぜなら、僕が「稲盛和夫さんの本」を読んで、自分の人生を変えようと決心できたのは、稲盛さん自身がそのような人生を送ったからであった。

「中学受験失敗、結核という大病、大学受験失敗、破産寸前の会社への入社」という境遇にあった稲盛さんは、「運命は自らの力で変えられる」と信じ、何十年という努力と度重なる失敗を経験しました。その結果、京セラとKDDIを一代で築きあげ、数万人の雇用を生み出しました。

稲盛さんは、低い社会的地位であったのにもかかわらず、相当な失敗と挫折によって、これほどの大業を果たしたのです。だからこそ、当時の僕は、稲盛さんの「運命は自分の力で変えられる」という言葉を信じることができ、自分の人生を変えようと決断できたのです。稲盛さんのような、これほどの境遇が、僕の夢を叶えるためには絶対に必要なのです。もちろんそれは、とても無謀なことなのですが。

”夢”と”フリーター”

それでも僕は、死ぬまで、この夢に挑戦したい。たぶん、叶うことはないと思います。たとえそうであっても、「稲盛さんと出会い、稲盛さんの言葉によって人生を変えることができた」人間である以上、僕もまたその後継者でありたいです。だから、その夢に挑戦したい。そして、”フリーター”になるという決断は、この夢と密接に関係しています。なぜなら、僕もまた、若いころの稲盛さんと同じスタートラインに立つためです。

僕は、幸運にも、大学受験に成功し、20歳前後の人たちのなかでは非常に恵まれた環境で育ちました。しかし、これは僕の”夢”を叶えるにあたっては、あってはならないことなのです。このまま僕が、大企業に就職したり、先輩の成功体験に便乗する形で一緒に走っていては、決して稲盛さんのような人物にはなれません。それどころか、”夢”から遠ざかるばかりです。

なぜなら、今の僕がこのまま成功し続けても、10代の子たちに感動を与えることは100%ないと思うためです。そしてもし、若き頃の稲盛さんが、今の僕と同じ境遇からスタートしていたのなら、15歳の僕は「自分の人生を変えよう。自分の運命は自分で変えられる。」と決して思わなかったはずです。若い頃から成功し続けている人には共感できなかったからです。だからこそ、僕はいまの自分の境遇に違和感を覚え、立ち止まりました。

「本当に、このままでいいのか。」

こうした考えのもと、多くの犠牲を払い、さまざまな選択肢を失うとわかっていても、”フリーター”というスタートラインから自分の人生をやり直すことを、僕は決めました。



2012年6月10日日曜日

No38. "思い"を"言葉"にしたあと


"思い"、"思い"、"思い"。

僕が、"思い"ということばに、ここまでこだわっている理由を考えてみた。間違いなく言えることは、自分の"思い"をないがしろにしてきたこと。そのときには気づいていなかったが、なにかをするときには、母の考えや兄の考え、身近な友人の考えがチラついていた。

チラつくというのは、些細な事かもしれないけど、それらが僕の振る舞いに与える影響は非常に大きかった。そして、その影響力に負けて、自分の”思い”はたいていの場合において二の次であったと思う。これを克服したい。そこに端を発して、僕の”思いを言葉にしたい”発言がはじまった。

”思いにこだわった先には何がある”

でも、ここからが大事なことなのだが、”思いを言葉にできるようになったら、どうするの?”っていうこと。”思いをないがしろにしてきた”という大きなコンプレックスを抱えている今の僕は、目の前のこの問題を解決することに躍起になっている。しかも、僕の性格上、これを解決するまでは後先のことなんて考えやしない。

ただ、このままでは”やばいんじゃないか?”という直感がある。”後先も見えないまま突き進んで、もしそこに何もなかったら、どうなるんだ”という不安がある。そこで、もう少しこの先のビジョンを鮮明にするために、新たな問いを自分に立ててみた。

”思い”を”言葉”にするとは、なに?

考えてみると、いろいろ思いつく。いま考えていることを言葉にすること。頭の中に浮かぶものを言葉にすること。本当の思いを掴み、それを厭わず伝えること。

でも、どの答えも似たり寄ったりで、本質を突いたものに感じない。たぶん、どれも違うと思う。なぜなら、どれも単なる言い換えであって、心の底からにじみ出たものではない。では、なんなのだろう、”思いを言葉にする”って。

”思い”にここまでこだわる本当の原因


そこで、”思い”にこだわる原因をもう一度考えてみる。僕が”思いを言葉にすること”にこだわっている本当の原因、それは自分の思いを二の次にし続けたことであった。これは、冒頭でも書いたとおり。つまり、いまの僕が一番したいのは、自分の思いを二の次にせず、最優先事項にすること。そのために、こうしてブログを書いて、自分の思いを探り、鮮明な形で言葉にしようとしているのだ。

でも、単に”切実に思うこと”を言葉にしていても、なかなか自分の思いは見えていない気がする。それは、切実に思うことを説明しているにすぎないからかもしれない。”自分の色”がないのかもしれない。なぜなら、僕は自分の好きとか嫌いといった、本当の気持ちを隠しているから。


"好きなものを好きって言いたい、嫌いなものを嫌いって言いたい。"

僕は”思い”を”言葉”にすることで、本当の気持ちである「好き嫌い」をハッキリさせておきたいのかもしれない。いままで、家族や友人などの考えを優先していたために隠し続けていた、湧き上がる感情。それを押し殺してきたからこそ、今になって、それらを言葉にしたり行動に示すことで、今まで感じることができなかった”生き生きとした振る舞い”を実現したいのかもしれない。”これが好き”、”これは嫌い”。

そういう気持ちを言葉として発することで、自分のアイデンティーを見つけようとしているのかもしれない。だからこそ、今の”出しきれていない感情”をフルに引き出そうと躍起になっている。感情を示せれない自分を、もったいないと感じている。僕は、自分の”好き”と”嫌い”を見つけたい。”思い”にこだわリ続けるのは、”気持ち”を示したいということなんだと思う。

もう一度、問う。”思いにこだわった先には何がある”

感情を見せれる自分。なにかを好きといい、なにかを嫌いといえる自分。これが、”思い”を”言葉”にできるようになった先にあるもの、だと思う。”好き”と”嫌い”を他人に見せることを恐れてはいけない。自分の気持ちを隠してはいけない。そう自分に言い聞かせながら、”地に足のついた自分”を見せたい。こうした潜在意識が、いまの僕にある。

おそらく、こうした願望は多くの人にとって中高時代に育まれるものだと思う。もちろんそれは、反抗期や進路選択の際にうまれる刹那的な願望とは別のもので、日常のなかで誰もが持ち続ける願望のことである。

例えば、今使っているノートやボールペンを選んだ背景に隠れた願望や、いつも通う喫茶店を選ぶ行動に隠れた願望といった、日常的なものである。

僕はこれまで、その願望を意識することがなかったため、自分の気持ちが行動に反映されることはほとんどなかった。誰からも評価されうるものを無難に選ぶことで、自分の潜在的な感情が否定されることを避けつづけていたのである。

でも、いまのこの瞬間、そういう自分に耐え切れなくなった以上、いまの自分を変えたい。

他人に否定されても、好き・嫌いを見せられる自分

そこを目指して、いまの僕は”思い”を”言葉”にすることにこだわり続けている。

2012年6月9日土曜日

No37. "行動"と”思い”の断絶


今更きづいた。

この4年間、理由を考えすぎた。

◯◯をしてきたんだから、これ。
◯◯なんだから、あれ。

なにを始めるにしても、このような考え方で行動してきた。誰かに説明できるようにするため。

でも、その考え方を続けてきたせいか、自分の行動に思いをのせることができなかった。ほとんどの行動が、誰かに説明するためのものであって、心の底から沸々と湧いてきた情熱によるものではなかったからだ。

「どうやってそれをしたの?」と聞かれれば「これまで〜であったため、〜という理由でしました。」と素直に答えることは容易にできる。でも、「どういう思いでそうしたの?」と聞かれれば、「それを望む人がいたから。」と言わざるを得ない。その行動は、自分の情熱によるものではなかった。

思いを突き通す勇気がなかった。

このような結果になってしまったのには、理由があった。僕が本当にしようとした事はどれも、両親の思いを叶えないことを意味していた。

大学2年の冬のとき、多額な大金を払う大学よりも自分の興味のある服飾の専門学校に通おうとしたことがあった。ただの思いつきではなく、誰かに自慢したいわけではなく、「ファッション」を通じて誰かを喜ばせる技術を学びたいと思ったからだ。専門学校の特待生試験に一次合格し、あとは母に説明するだけであった。

「なんで学びたい事がない場所に、こんな大金をつぎ込まなければならないんだ。いま、自分が本当にしたいのは専門学校で学べる事なのに。」

胸からこみ上げてくる怒りとともに、自分は親に思いの丈を話した。「なぜ服飾に興味があるのか。どうして大学で学びたい事がないのか。」を1週間かけて親に説明し続けた。しかし、母からは「あなたが大学を卒業することはお父さんとお母さんの願っていた事。どうしても通い続けてほしい。」と数時間も泣きつかれた。

「ふたりの願いなのか。そうか。。。」と、渋々あきらめざるを得なかった。

僕には2人の兄と1人の姉がいるのだが、大学に通っているのは僕だけであり、親のお金を一番使っている子であった。そのため、亡き父と母の思いを踏みにじることはできなかった。

また、学費は全額自分で払い、大学と並行で通うという選択肢もあったものの、その専門学校に通うためには学費納入の保証人が必要であった。もちろん、賛成してくれる家族はいなかったため、保証人として名前を書いてくれる人がいなかった。

結局、自分の思いを叶えることは一度もなかった。何度も何度も、自分の胸の底から、叶えたい思いが湧き上がる瞬間はあった。でも、両親の思いを踏みにじる勇気はなかった。このジレンマを抱えたまま、時間だけが過ぎた。

思いが伴わなかった4年間

こうして4年が経ったわけだが、自分の思いを叶えられなかったことは誰のせいにもできなかった。家族にも大学にも自分の責任を押し付けることはできない。なぜなら、思いを叶える事はできなかったものの、この4年間をどのように過ごすかを決めた主は、紛れもなく自分であったからだ。

学校の時間やそれ以外の時間、バイトで稼いだお金、奨学金などのあらゆる資源の使い道はすべて、僕が考えた。だから、”思いが叶わなかったのは環境のせい”なんていう情けない言い訳は言えない。

結局のところ、母と亡き父の思いを言い訳にして、バイトと学校だけに手一杯になり、自分の思いと向き合ってこなかったことに原因があった。日々、考え続けた思いなんてなく、思いを深めようとする努力もすることなかった。そりゃあ、思いの伴わない行動が増えるのは当たり前である。

もちろん、誤解を招かないように書くと、この4年間は”思いは叶わなかったものの、かなり充実した4年間”であった。一見、これまで書いたことと矛盾するような話ですが、自分の思いと向きあう事はほとんどなくとも、出会った人や生活費、学費のために”ある種の使命感”を持って行動し続けたことは間違いありません。そのため、僕の4年間を全面的に否定しているわけではありません。

この4年間がコンプレックスとなった今

そうしたことを踏まえたうえで、僕がここで言いたいことは、なにかをするときには”思いが大事である”ということが書きたいわけではありません。”不都合な環境に音を上げて、自分の思いを深める事を怠った”という事実を反省しなければならないということです。

この4年間を経た今、”思いはどれも叶わなかった”という大きなコンプレックスを抱えてしまいました。後悔の念は非常に大きいです。でも、こういう状況だからこそ、このコンプレックスとうまく付き合い、自分を新たに作りなおしていく必要があると思っています。決して、自分の人生を悲観しているわけでもないし、自分の大学生活はつまらなかったということを言いたいわけではない。

次の成長段階に立っている。

そう、自分に言い聞かせているのです。



No36. "ちっぽけな存在"



いま、”フリーター”という生き方からはじめることを決めている。手のひらにも、頭の中にも、秘策なんてものはない。いまあるのは、これまで20数年生きてきた、自分のからだがあるだけ。お金や家族、友人、仕事、そうしたものから一線離れたところに自分の身があるだけ。いまの僕にできることは、今までの短い人生を話すことと、いまの気持ちを言葉にすること。その程度のことくらい。自分にブランドなんて一欠片もない。もしあるとするなら、地に足のついた、あるがままの気持ち。それ以上、僕になにかをもとめても、なにも出てきやしない。

僕は、ちっぽけな存在なんだと思う。

東京の六本木の高いビルに登り、窓ガラスを通して外をみると、1300万人もの人が住む大都市がみえる。眺める場所が、高ければ高いほど、自分の小ささを実感させる。目の前にひろがる大都市には、生きている人すべてが、みずからの幸せを願い、それを手に入れるためになにかをして生きている。ちっぽけな僕が、いてもいなくても変わらないくらい、毎日なにかが、何百億単位で変わり続けている。僕が”フリーター”という生き方を決めたことも、その何百億のなかの変化のひとつ。何百億の変化の、たった1つにすぎないものだと実感させる。

さて、”たそがれ”はこの程度にして、いまやりたいことを書き出したい。それは2つ。週単位でやりたい事と月単位でやりたい事である。

まず、週単位でやりたいことは、「自分という人間をどの程度までことばにできているか」というチェックとフィードバックである。僕にはいま、切実に解決したい問題がある。それは「自分の考えを言葉できちんと表現できていない」という問題である。1日でも早く、この問題を解決したくて、毎日このブログを綴っている。そして、この解決のためには、自分をいつも見てくれている人の手を借りたり、自分自身が変わったと思うことを記録に残していかなければならない。その解決策の一環として、「自分という人間をどの程度までことばにできているか」というチェックとフィードバックが必要なのである。その第1回目として、明日、これまで続けてきたブログのチェックとフィードバックをしたいと思う。

そして、月単位でやりたいことは、週単位でやっていることの力試しである。今年であれば、自分自身という人格を伝えるのに十分なエッセイを作り、これまでの自分に一段落をつけることである。前々回のブログで述べたように、僕は「自分の考えや思いを言葉にすること」を4年間にわたって怠ってきた。その結果、言葉で説明することを厭うようになり、どんな質問に対しても満足といえる考えとその根拠を示せなくなってしまった。特に、文章を書くにいたっては、会話でできるはずの多面的な話もできず、一方的で一面的な薄っぺらい文章しか書けなくなってしまいました。おそらく、この文章もまた、非常に薄っぺらいものになっているかもしれない。それもまた、非常に辛く悲しいことです。その解決策として、まずは”自分という人格を表現したエッセイを作る”こと、それを9月までにやり遂げたい。場合によっては、自分だけのなかに留めず出版社の原稿応募として提出するかもしれないし、永遠に自分のPCのなかに封印するかもしれない。現時点で、そのエッセイの処理については重要でないのでこの程度にしておきます。

2012年6月8日金曜日

No35. ”フリーター”という生き方


いまの僕には、声を大にして言っていることがある。

「卒業後は”フリーター”からはじめます」

でも、そのあとに返ってくる言葉は、誰ひとりとしてプラスなものはない。誰もが、怪訝そうな表情を浮かべて、”フリーター”という生き方に照準を当て、弾丸を打ちはじめる。まるで、僕がその選択肢を選ぶと、死んでしまうかのように。まるで、その選択肢は不正解であるかのように。それがとてもつらい。
「大卒なのに、新卒という切符をなぜ捨てるの?」
「家族はなんていうの?」
「彼女は?」
「大人は何かを背負っていくもの。そんな生き方が続くわけない。」
「具体的になにをするの?」

”フリーター”という生き方に銃口を向けて、止むことなく弾丸を打ち続ける。

こういう問答のなかで、僕は必死に説明する。
「いますぐ解決したい問題がある。」
「怖いことなのはわかっている。」
「選択肢の数を増やすよりも、1つの選択肢を選んだあとの現実と真剣に向き合いたい」
「お金が目的ではない、夢が目的ではない、死んだら後悔してしまいそうな問題と今向き合いたい」
「フリーターという道中を楽しみたい」

誰ひとりとして、納得してくれない。

そのような状況の中、皆に銃口を向けられた僕を見かねて、ある人は教えてくれました。
「あげおが皆に説明している姿は、”雪”を見たことない人に”雪”の存在を説明しようとする姿に似ている。おそらく、あげおの考えていることは誰にも伝わることはないよ。」
もちろん、そのことはわかっている。それでも、僕はなんとか自分が掴んでいるイメージを伝えたい。

しかし、フリーターという生き方に具体性と確信がない以上、言葉の説明だけでは納得させることができない

「小説を書いて賞をとりたい」
「スマートフォンのアプリをつくる」
「世界一周したい」
「中国に留学する」
そういうことでも言えば、皆は納得するのであろうか。きっと無理だ。それだけではダメなんだと思う。

「具体的なプランとそのためにできる努力、それによって生まれる結果。」そこまでを説明しないかぎり、誰も納得はしないんだと思う。

でも、そういう生き方は死んでもしたくない

だれかに納得してもらえる、鮮明なプランに沿って生きるなら、さっさと死んだほうがいい。目的地に向かうための毎日を過ごし、それに心を砕くくらいなら、目的地がない道中、歩いているその時々に味わえる出来事に心を向けるほうが、生きがいがある。人生を探検に例えるなら、歩き心地がよくて舗装された道を探検するのは大嫌い。むしろ、ずっと霧がかかったデコボコした道を唄をうたいながら歩き続けるほうがずっと楽しいし、好き。もしかしたら、途中で岩があり、それに躓いて怪我をしてしまうかもしれない。でも、僕という人間は、「そういう道を歩きながら、辛いことを味わい、それまで一度も気づかなかったことを知るほうが楽しい」と思っている。

”フリーター”という生き方は、そういう道を選ぶことと一緒なんだと思う。あまり人が歩きたがらない道だと思う。なぜなら、"フリーター"という道を歩いたことがある人は、その道の思い出を楽しそうに語ることはない。そして、彼らがその道を歩いていることを大多数の人が知らない。そのため、これから”フリーター”という道を歩きはじめる人は、それがどんな道なのかがわからない。しかも、”フリーター”という道を歩き始めると、「正社員という道まで戻りにくくなる」という”プレミアム”まで付いている。おそらく、”フリーター”という道は、探検する道としては最低なもの。こんな道なら、そりゃあ誰も歩きたくないし、その道を歩こうとする人はバカなんだと思う。もちろん、そこを歩こうとしている僕もまた、バカだと思う。

一方、正社員という道は、きっとすごく綺麗で、歩き心地がいいんだと思う。そこを歩いている人はいっぱいいるし、みんな幸せになるだろう。歩けば歩くほど、道が自分に馴染んでくる。工夫して歩けば褒められるし、歩いていてもなかなか飽きない。さらに、道中には「この道を探検するのは楽しい!」という日記がいっぱいあって、その先の道を悪いという人はいない。本当に良い道なんだと思う。

でも、「正社員という道は”フリーター”という道よりも楽しい」というロジックはいつでも成り立つわけではないと思います。なぜなら、どんな道を選んだとしても、その道が良いから自分の探検が楽しいわけではない。自分の探検の仕方が良いから、その探検は楽しくなるんだと思う。探検をするときには、誰かから命令なんてされないから、脇道に入ったりもできるし、歩かず他のことをやり始めてもいい。決して歩き続ける必要はないし、立ち止まると死ぬわけでもない。しかも、どの道を歩いていても楽しくする工夫はできるし、かっこよくする方法はあると思う。だから、どんな道を選んだとしても、楽しむことが目的ならどっちでもいいんだと思う。今まで歩いていた人たちがどんな経験をしていたとしても、

ほんとうに大事なことは、これから歩く人が、選んだ道に関係なく探検そのものを楽しめることなんだと思う。

一番はじめの話に戻りますが、僕にアドバイスしてくださった友人や先輩は、ほんとうに僕のことを思って、”フリーター”になることを否定してくれているんだと思います。

それは「せっかく道を選べるなら、怪我をしにくく迷いにくい道のほうが良い」という最良のアドバイスなんだと感じます。

だから、そのアドバイスを聞きながらも、”拒否反応”を示すような僕は単なるバカなのかもしれません。でも、どんな批判にあっても、僕の心の底にあるものは、変わりません。

「どんな道を歩いても、工夫次第で探検そのものは楽しめる。」

そう思いながら、これから、霧がかった道を唄を歌いながら歩いていこうと思います。たぶん、共感してくれる人は数少ないし、僕みたいな考え方は無謀でバカバカしいと思う人はいっぱいいると思います。

「かわいそうに、この子は本当に、バカなのね。」

そんな言葉を耳にしながら、僕は僕なりの探検の仕方を見つけてみたいと思います。そして、もしできるなら、”フリーター”という生き方が、肯定的にみられる将来を作れると信じて。

2012年6月7日木曜日

No34. 言葉を失った”傷”



僕には、大学に入学してから大切にしてきた価値観があります。

「言葉ではなく、行動で示せ」
「行動で示せないなら、言葉にしない」

この価値観を大切にしてきたのには、理由があります。

それは、
お金も時間もあるのに、
「願い事」ばかりする自分が嫌いだったからです。

「バイトしたい」
「友だちほしい」
「どこかに行きたい」
「あたま良くなりたい」

大学に入学したころ、
毎日こんな事ばかりを考えていました。
なに一つ叶えようとせず、
”願い事”という日課をこなすだけの日々を過ごしていました。


だから、大学1年の夏に決断しました。

「したいなら、やれ。言葉にせず、やれ。」

それをつづけたのが、
僕の大学4年間でした。


でも、4年がたったいま、
その副作用を引き起こしてしまいました。

「自分の気持ちが言葉にならない」

4年間ずっと、
言葉をいいかげんに扱った結果、
なにを話していても気持ちを込められないのです。

友人との会話では、
思いつくことだけ。

面接では、
一夜漬けの志望理由。

SNSでも、
”思いつき”の一言。

「言葉にできない日々」

気がついた時には、
そんな毎日を送るようになってしまいました。

なにを話していても、
言葉で説明できなくなってしまう。

いまこうして文字を打っているときにも、
自分の思いを言葉にできていない気がしてなりません。


「しっかりしてくれ、自分」


実は、そういう自分を変えたくて、
このブログを書き続けています。

だれかへの思いをつづったり、
良いと思ったものを紹介したり、
ときには、感じるがままに言葉にしています。

始めてから1ヶ月が経ちました。
まだ、思いを言葉にできていません。

でも、毎日続けることで、
ある思いが生まれていることに気が付きました。

「自分の思いを言葉にできたら、いまよりもっと自由になれるかもしれない」


わずかな希望ではありますが、
僕にとっては大きな一歩です。

これを励みに、
このブログはまだまだ続けたいと思います。

そして、いつの日か

思いを言葉にできない自分を変えたい。


そんな日は、
いつか来るかな。

2012年6月4日月曜日

No33. 「個」として生きる@早稲田大学大隈塾



今日は1年ぶりに、早稲田の名物授業「大隈塾」に参加しました。
※「大隈塾」は、田原総一郎氏が創立した、
次世代の指導者養成を目的として運営されている講義。

大学4年間たいへんお世話になった、
馬場祐平さんの講義があったためです。


馬場さんの経歴を、
簡単にご紹介させていただきますと、

中高をともに中退後、大検を取得。独自の勉強法を考え、早稲田大学に入学。
在学中の07年に、「道伴舎」の前身である「道塾」設立を経ての今。
著書:『受験はゲーム!』

というご経歴の持ち主です。



今日の講義テーマは、
『「個」として生きる』

このテーマの論点は3つありました。
1、「個」をめざした学生生活
2、「個」として生きる起業から今
3、「個」として生きていくには

講義のメインは、
馬場さんご自身の経験についてです。
※上の動画は、講義の様子です。



以下、短めですが、
僕が感じたことです。

素直に実感したことは、
「馬場さんは、自分のことを隠さず語れる人なんだな」ということでした。
なぜなら、馬場さんは「自分のありのままの姿」を話していたためです。


「(昨年に)ビジネスの拡大をやめて、教育という問題と向き合おうと会社の方向性を切り替えました。自分たちのことを、内部にも外部にも理解してもらいながら、社会の変革をしようと社運をかけてやりました。(中略)その結果、1年間で社員が全員やめ、塾生もほとんど入らなくなりました。(中略)今年の3月、そのような、会社としては最悪な状況になり、今を迎えています。成功の話ではないので、どんよりとさせてしまい、申し訳ないです。そうしたことがありながらも、起業をしてから5年間、僕が大切にし続けていることが1つあります。それは、自分なりに『個として生きること』です。」
※動画では、17分前後。

僕はこの言葉に感銘を受けました。
それは「大隈塾」という舞台は、成功者に与えられた舞台でありながらも、馬場さんは「自らの成功体験」を話すのではなく、「いまの自分の姿」をありのままに話していたからです。


こうした舞台に立つ方の多くは、いまの自分の負を隠すことが多いです。
もちろん、その理由はわかります。

僕の場合であれ「ありのままの自分」を話すことはできません。
誰かにそれを伝える事は、辛いからです。

でも、馬場さんは負の事も包み隠さず、
何百人もの学生の前で誠実に語っていました。

もちろん、成功したのにもかかわらず、です。

ここに、馬場さんの”個としての強さ”があるのだと思いました。

「個」として生きる。

この言葉を都合良く使うことはできるかもしれませんが、「個」として生きつづける事は、本当にむずかしいことなんだと、この講義を通じて思いました。

2012年6月3日日曜日

No32. 書籍紹介『伝わる・揺さぶる!文章を書く』



今日、紹介するのは、
山田ズーニーさんの『伝わる・揺さぶる!文章を書く』という本。

ズーニーさんは、大学卒業後、ベネッセで小論文の雑誌編集長を務めました。00年にフリーランスとして独立し、『ほぼ日刊イトイ新聞』で7年にわたって連載。その後、ラジオ放送や書籍執筆、ワークショップなどを経ての今。

この本は、具体的な事例をもとにしたアドバイスが中心となっており、
文章を書くための”軸”を学べます。

しかし、それ以上にこの本を良いと思うのは、


ズーニーさんの真摯な思いです。
「読者に文章の書き方を理解させてあげたい」


あいまいな説明をすることなく、
常に具体的でわかりやすい説明に、
心を砕いてくれています。

ブログや日記を綴っている方のみならず、
お願いやお詫びのメールの書き方を知りたい方にも、
おすすめの1冊だと思います。

もし書店で見かけたら、
ぜひご覧になってみてください。


P.S

↓以下
・もくじ(一部割愛)
・僕のレビュー


〜もくじ〜
 『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
プロローグ:考えないという傷
第1章:機能する文章を目指す
第2章:7つの要件の思考法
     第1節:意見
      第2節:望む結果
     第3節:論点
      第4節:関係性
     第5節:論拠
      第6節:根本思想
第3章:文章の書き方―実践編
     実践1:上司を説得する
     実践2:お願いの文章を書く
     実践3:議事録を書く
     実践4:志望理由を書く
     実践5:お詫びをする
     実践6:メールを書く
第4章:より効果を出す!テクニック―上級編
第5章:その先の結果へ
エピローグ:あなたと私が出会った意味




〜僕のレビュー〜
この本は、僕にとって貴重な出会いとなりました。

なぜなら、もし出会わなければ、
前回の『あんたが卒業しなきゃ、お父さんに申し訳が立たない』を書くことはなかったからです。

ズーニーさんは、プロローグとエピローグに、
自らの成功と失敗を書き連ねてくれています。

僕はこのプロローグとエピローグがあったからこそ、
前回のような文章を書こうと決めました。

ここでは、実際の中身について触れませんが、
この2つの部分では「ズーニーさんがどうして文章を書く事を生業としているのか」を印象づけるストーリーが数多く記されています。

時間がない方は、プロローグとエピローグだけでもおすすめです!

「あんたが卒業しなきゃ、お父さんに申し訳が立たない」







泣きながら母は、僕に言いました。


「あんたが卒業しなきゃ、
お父さんに申し訳が立たない」



そのことばを聞いた瞬間。



そのことばの意味を、
すべて理解しました。




いまから16年前、
母は父に言いました。


「だいじょうぶ。子どもたちは、わたしに任せて。」


父は、母のその言葉をきき、
亡くなりました。


僕がちょうど6歳のころでした。




それから母は、ひとりで

3人の子ども(長女、二男、三男)
を育てました。


でも、母にとってその3人の子育ては、
ほんとに苦しかったと思います。



長女は、高校には行かず、家に10年以上ひきこもりました。


二男も、高校には行かず、家にひきこもりました。


そして、最後の三男もまた、
母を苦しませた子となりました。


その子が小学生のとき、
いつも母に言っていました。


「うるせぇ、くそばばあ。早く死ね。」


母はそのことばを、
毎日あびせられました。



それに耐えられず、母は

「あなたは家の疫病神だよ」

とその子に言ってしまいました。



中学になっても、
その子の暴言はやみませんでした。


そしてその子は、
4校のうち3校の高校受験に失敗しました。


そのときにもまた、
母に暴言を吐きました。


「受からなかったのは、ぜんぶおまえのせいだ」



その子が、僕でした。



しかし幸運にも、
高校に入学するころには、
その子は自分を改めました。


勉強のやりすぎで救急車に運ばれた日や
2回の骨折で勉強に集中できない期間がありながらも


高校3年間をすべて、
勉強にそそぎました。


もちろん、
その子はわかっていました。


「その3年間は、母と兄弟全員の思いを背負っている」
ということを。



無事、その子は、
大学に入学することができました。


偶然にも
その大学は、亡き父の母校でした。



それから5年が経ち、


その子はまた、
軽はずみな気持ちで母に言ってしまいました。



「大学卒業なんかしても、意味ないじゃん」




僕は、馬鹿でした。


僕は、究極の愚か者でした。



なぜなら

母にとって僕の大学卒業は、
親としての最後の役目だからです。


そして、

僕の大学卒業は
父と母の最後の約束

でもあったからです。




もう「大学卒業しなくていい」なんて
死んでも言いません。



どんなことがあっても、
僕は大学卒業をします。




お母さん、迷惑かけて、

ほんとうにごめんなさい。

2012年6月1日金曜日

No.31 動画紹介『幸福と成功の意外な関係』

シェーン・エイカー「成功したから幸せなのではなく、幸せだから成功するのである」




そのとおりだと思います。



Hapiness(x)=Success






2012年5月31日木曜日

2012年5月30日水曜日

No29.凄い人紹介『梅原大吾』



※この動画は、プロフェッショルの本物の動画かどうかは不明です。
ただし、梅原大吾さんが、どんな方であるかを紹介しやすい動画でしたので使わせていただいております。


プロ格闘ゲーマー:梅原大吾
(著書:勝ち続ける意志力

あまり御存知でない方のほうが多いと思いますが、
この方は僕が凄いと思う方のひとりです。

なぜ凄いのか?


強靭な心の持ち主だからです。


「ゲームのプレイヤーとして、15年以上生きてきた」

その言葉をきいて、笑う人もいると思います。
きっと彼の周りにもそんな人は数多くいたはずです。

しかし、彼はそれをやめなかった。

十数年経っても、やり続けたのです。


こんな人生を歩んできた、梅原さんのような方を僕は凄いと思います。

No28.ブログ紹介『404 Blog Not Found』



今日、紹介するのは小飼弾さんの『404 Blog Not Found』というブログ。

小飼さんは、中学卒業後16歳で大検を取得し、17歳のときにカリフォルニア大学バークレー校に入学。でも、いろいろ事情があって中退。コンピューターで生計を立てた後、ディーエイエヌ有限会社を設立し、ライブドア取締役・フープス取締役を経ての今。


経歴だけではどんな人かはわかりませんが、
ブログをみるとなんとなく感じ取ることができます。


一言で説明するなら、
「ポンポン」、「ビシバシ」、「ガンガン」といった感じで意見を言う方です。


主張に躊躇いはなく、サッと書いて、「はい、おわり」という印象を毎回受けています。
これは悪い意味ではなく、後味が残らないブログという意味です。


ブログ『404 Blog Not Found』では「献本紹介」がメインですので、本巡りという意味でサーフィンするのも面白いと思います。