2012年6月9日土曜日

No37. "行動"と”思い”の断絶


今更きづいた。

この4年間、理由を考えすぎた。

◯◯をしてきたんだから、これ。
◯◯なんだから、あれ。

なにを始めるにしても、このような考え方で行動してきた。誰かに説明できるようにするため。

でも、その考え方を続けてきたせいか、自分の行動に思いをのせることができなかった。ほとんどの行動が、誰かに説明するためのものであって、心の底から沸々と湧いてきた情熱によるものではなかったからだ。

「どうやってそれをしたの?」と聞かれれば「これまで〜であったため、〜という理由でしました。」と素直に答えることは容易にできる。でも、「どういう思いでそうしたの?」と聞かれれば、「それを望む人がいたから。」と言わざるを得ない。その行動は、自分の情熱によるものではなかった。

思いを突き通す勇気がなかった。

このような結果になってしまったのには、理由があった。僕が本当にしようとした事はどれも、両親の思いを叶えないことを意味していた。

大学2年の冬のとき、多額な大金を払う大学よりも自分の興味のある服飾の専門学校に通おうとしたことがあった。ただの思いつきではなく、誰かに自慢したいわけではなく、「ファッション」を通じて誰かを喜ばせる技術を学びたいと思ったからだ。専門学校の特待生試験に一次合格し、あとは母に説明するだけであった。

「なんで学びたい事がない場所に、こんな大金をつぎ込まなければならないんだ。いま、自分が本当にしたいのは専門学校で学べる事なのに。」

胸からこみ上げてくる怒りとともに、自分は親に思いの丈を話した。「なぜ服飾に興味があるのか。どうして大学で学びたい事がないのか。」を1週間かけて親に説明し続けた。しかし、母からは「あなたが大学を卒業することはお父さんとお母さんの願っていた事。どうしても通い続けてほしい。」と数時間も泣きつかれた。

「ふたりの願いなのか。そうか。。。」と、渋々あきらめざるを得なかった。

僕には2人の兄と1人の姉がいるのだが、大学に通っているのは僕だけであり、親のお金を一番使っている子であった。そのため、亡き父と母の思いを踏みにじることはできなかった。

また、学費は全額自分で払い、大学と並行で通うという選択肢もあったものの、その専門学校に通うためには学費納入の保証人が必要であった。もちろん、賛成してくれる家族はいなかったため、保証人として名前を書いてくれる人がいなかった。

結局、自分の思いを叶えることは一度もなかった。何度も何度も、自分の胸の底から、叶えたい思いが湧き上がる瞬間はあった。でも、両親の思いを踏みにじる勇気はなかった。このジレンマを抱えたまま、時間だけが過ぎた。

思いが伴わなかった4年間

こうして4年が経ったわけだが、自分の思いを叶えられなかったことは誰のせいにもできなかった。家族にも大学にも自分の責任を押し付けることはできない。なぜなら、思いを叶える事はできなかったものの、この4年間をどのように過ごすかを決めた主は、紛れもなく自分であったからだ。

学校の時間やそれ以外の時間、バイトで稼いだお金、奨学金などのあらゆる資源の使い道はすべて、僕が考えた。だから、”思いが叶わなかったのは環境のせい”なんていう情けない言い訳は言えない。

結局のところ、母と亡き父の思いを言い訳にして、バイトと学校だけに手一杯になり、自分の思いと向き合ってこなかったことに原因があった。日々、考え続けた思いなんてなく、思いを深めようとする努力もすることなかった。そりゃあ、思いの伴わない行動が増えるのは当たり前である。

もちろん、誤解を招かないように書くと、この4年間は”思いは叶わなかったものの、かなり充実した4年間”であった。一見、これまで書いたことと矛盾するような話ですが、自分の思いと向きあう事はほとんどなくとも、出会った人や生活費、学費のために”ある種の使命感”を持って行動し続けたことは間違いありません。そのため、僕の4年間を全面的に否定しているわけではありません。

この4年間がコンプレックスとなった今

そうしたことを踏まえたうえで、僕がここで言いたいことは、なにかをするときには”思いが大事である”ということが書きたいわけではありません。”不都合な環境に音を上げて、自分の思いを深める事を怠った”という事実を反省しなければならないということです。

この4年間を経た今、”思いはどれも叶わなかった”という大きなコンプレックスを抱えてしまいました。後悔の念は非常に大きいです。でも、こういう状況だからこそ、このコンプレックスとうまく付き合い、自分を新たに作りなおしていく必要があると思っています。決して、自分の人生を悲観しているわけでもないし、自分の大学生活はつまらなかったということを言いたいわけではない。

次の成長段階に立っている。

そう、自分に言い聞かせているのです。



0 件のコメント:

コメントを投稿