2012年6月12日火曜日

No41. ”ウソ”からの逃走


ある言葉に、違和感。

今日、朝の11時ごろから大学の自習室にこもり、このブログを見返した。我ながら、恥ずかしいことをいっぱい書いてることに気が付き、「消したい」という衝動に何度もかられた。

それを我慢し、じっと見ていると、No37.”行動”と”思い”の断絶「思いを突き通す勇気がなかった」という言葉が気になった。なんか、違うな〜、と。

なぜなら、僕の性格は、誰かと意見が対立した際、相手が折れるまで自分の意見を突き通そうとするタイプであるからだ。自分が書いたものにツッコミをいれるのはおかしな話だが、「勇気がないわけではなかった」と思った。

そして、ふと思った。「勇気があるなら、なんで4年間もずっと、自分の思いに沿った行動をしなかったのだろう?」その問いを、自分に投げかけた途端、凄まじいことに気がついた。

自分に”ウソ”をつくのは日常。

自分にウソをつかない人には理解できないかもしれませんが、大学時代の僕は、自分にウソをつくのが当たり前だった。入学してからの数年間、友だちや家族と話している時を含めてどんな時でも、自分にウソをつき続けてきた。もちろん、ひとりでいるときにも、自分の思いにウソをついて、欲望をねじ伏せた。

というのも、自分の思いのせいで誰かと対立するより、自分が先に折れたほうが楽だったし、他人との揉め事も起こらなかったからだ。そして、そのほうが人間関係もうまくいくと思った。「人と対立しなければ、自分の思っていることはどうでもいい。ウソも方便」と思っていた。

自分を裏切った、”ウソ”。

しかし、今はそう思えない。なぜなら、自分の気持ちをダマしたことで、思いを叶える意欲がなくなったからだ。思いとは違う行動をとり続けたせいか、自分のことでも他人事のように感じ、どんな失敗をしても悔しさを感じなくなった。さらに、自分のために頑張るエネルギーがなくなり、一生懸命になることの意味を失った。数年もの間、自分の思いを裏切り続けることで、こんな状況になってしまったのだ。

”ウソ”からの逃走。

そんな自分を変えるため、僕はいま、自分の思いをブログを通じて毎日発信している。少なくとも、思いを発信することでその思いを自覚し、自分へのウソを最小限に抑えようとしている。もちろん、ブログに書く内容は一切妥協せず、自分の思いに忠実でありたい。なぜなら、このブログの指揮官は僕自身であり、世間体ではないからだ。世間体を気にしていたら、元も子もない。それだけは、気をつけたい。

P.S.

ちょっと強気になって「指揮官は僕自身」とか言ってしまったが、ブログを更新するたびに内心びくびくしていることだけは、読者の方にも伝えておきたいです。時々、強気なことを言ってしまいますが、僕はブログを更新するたびに「穴にもぐりたい」とぶつぶつ呟いていることだけは認めます。

今日のブログは話のまとまりがなかったことを、明日反省したい。約2時間後にせまったサッカー日本代表戦で落ち着きがないため、この辺にします。

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