2012年6月19日火曜日

No44. ”武者震い”はとまらない


パスポートの申請。

今日一日で、パスポートの申し込みを済ませた。その際、はじめて戸籍謄本を取得した。家族構成、旧姓、生年月日。あらゆる情報がそこには記載されていた。もちろん、父の情報はあったものの、”除籍”となっていた。母は、どのような気持ちで、この戸籍謄本を見ていたのだろうか。そんなことを考え、手続きを済ませた。

臆病な、小僧。

パスポート申請には理由がある。それは、一歩を踏み出すことだ。残念ながら、大学時代の僕はひどく臆病者であった。ふだんは大風呂敷を広げて「なんでもできる」と調子に乗っていた。地方に出向いて働く学生を軽くみたり、海外に憧れて旅行する学生を影で笑っていた。ときには、アメリカにインターンに行く友人を見て、「俺も金がありゃ、できるわそんなもん」と舐めてかかった。

しかし、自分の事となると、状況は一変した。たった3万円相当の旅行でも、翌週の食費や学費が足りなくなることを恐れた。「なくなったら、どうなる」、「いまは我慢だ」。言い訳ばかりを考えていた。しかも、パスポートに必要な1.6万円を出すことでさえ、4年間渋り続けた。武士で例えるなら、ふだんは刀を腰に据えて道を闊歩するものの、いざ戦となると、途端に刀を隠し農民に変ずる、情けない奴であった。

なるべくして、小僧になった。

たしかに、「お金がない」というのは事実であった。実家の所得は、年間150万円程度の遺族年金のみ。母は、危篤状態の祖母を看病しているため、働けない。もちろん、遺族年金があるため生活保護の対象外。この事実を、大学1年のおわりに聞いたものだから、一瞬で”小僧”になってしまった。ビクビク、震えながら、4年間生きてきた。

小僧は、カッコ悪い。

でも、いまの僕は、”小僧”をやめた。なぜなら、小僧はどこまでいっても小僧にすぎず、ちいさくなるだけだったから。いっそのこと、環境ごとガラッと変えたほうがいい。そのぐらいの覚悟になった。

家族のこととか、お金のこととか、名誉のこととか。こんなことを考えて、縮こまってても、なーんにも、僕に与えてくれない。与えてくれるのは、不安だけ。だったら、与えられる生き方はやめて、自分から飛び込んでいこう。もっと、もっと、進んでみよう、と。

”武者震い”はとまらない

いま、自分が持っている刀では、戦場のいつ・どこで折れるかわからない。もしかしたら、刀を交えた瞬間に折れるかもしれない。その恐怖を感じながら、いま、立っている。


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