2012年6月11日月曜日

No40. ”怖い”ものは”怖い”



何も決まっていない、その怖さ。

これは、一昨年ごろから強く感じるようになった。幼い頃は、そんなこと気にせずに、欲しいものを手に入れ、やりたいことをやる。その強さがあった。今は、その勢いが衰えかけて、何も決まっていない状況に怖さを感じている。「どうせ死ぬんだから、なんだっていいじゃん。」と思う自分がいる一方で、「なにをしたらいいんだろう。」と思う自分もいる。

大切にしたい、この怖さ。

こうした気持ちは、なにもしていない時にしか、基本的には生まれないと思う。なぜなら、なにかをしていれば、それに心を奪われ、不安なんか感じている場合じゃないからである。いまの僕も、この怖さを今すぐなくそうと思えば、すぐになくせる。なにかに心を傾ければ、それでいいから。

でも、なぜかいまは、この怖さを感じていたい。この怖さを感じているとき、挫折した人の心情や失敗した人の心情を普段以上の感度で感じることができる。「どうしよう、どうしよう」と思いながらも、自分の目の前にみえる光景は、頑張っている時とは違う形でみえる。だから、いまはそれを感じて、そこからなにかを学びたい。この怖さを、大切にしたい。

過去に戻っても、怖いのだろう。

いま、この瞬間に過去に戻れたとしても、この怖さは変わらない。なぜなら、過去に戻っても、なにをしたらよいかは何も決まっていないからである。皮肉なことに、過去に恐れなかったことを、今になって恐れるようになった。情けない話だ。結局のところ、この怖さは、自分が勝手に創りだしているものなのである。つまり、自分が勝手に恐れるようになったものであって、なぜか自然と身についた感情である。

もちろんこの感情が、どのようにして生まれたかは、わかっている。それは、これまでの十数年間で、なにもしていないことを恐れる人たちを見てきたからであり、「なにもしていないことは良くないことだ」と教育されてきたからである。そのため、自然と他人の目を気にして、なにもしていない時間を恐れるようになった。その結果として、10年前と比べて、目の前の光景は大して変わっていないのに、全く同じ光景を見て怖がっているのである。自分は何やってんだか。いや、他人ごとではなく、僕はこの事実を自分のこととして受け止めないといけない。

この怖さと、うまく付き合う

それでも、いまの僕は、この怖さをなくすつもりもないし、悪いものだと思っていない。それは、この怖さがあることで、ある程度の緊張感を持つことができ、一日を大切に過ごすことができているから。昨日だって、この怖さのおかげで自分を追い詰め、「このブログでしたいことは、好き嫌いを見つけることなんだ!」と気付くことができた。今日もそう、朝からなにもしていないことを勝手に怖がることで、「あ、俺、こんなに怖がってるけど、10年前と状況は同じじゃん。見た目は大人、中身は子ども。笑」という決定的な事実に気付くことができた。

好きだよ、怖がるの。

結局のところ、この恐怖があるからこそ、自分がしている事の意味や物事の本質に気付くことができる。取り越し苦労にはあらず、取り越し恐怖。僕は、この恐怖が大好きである。







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