2012年6月8日金曜日

No35. ”フリーター”という生き方


いまの僕には、声を大にして言っていることがある。

「卒業後は”フリーター”からはじめます」

でも、そのあとに返ってくる言葉は、誰ひとりとしてプラスなものはない。誰もが、怪訝そうな表情を浮かべて、”フリーター”という生き方に照準を当て、弾丸を打ちはじめる。まるで、僕がその選択肢を選ぶと、死んでしまうかのように。まるで、その選択肢は不正解であるかのように。それがとてもつらい。
「大卒なのに、新卒という切符をなぜ捨てるの?」
「家族はなんていうの?」
「彼女は?」
「大人は何かを背負っていくもの。そんな生き方が続くわけない。」
「具体的になにをするの?」

”フリーター”という生き方に銃口を向けて、止むことなく弾丸を打ち続ける。

こういう問答のなかで、僕は必死に説明する。
「いますぐ解決したい問題がある。」
「怖いことなのはわかっている。」
「選択肢の数を増やすよりも、1つの選択肢を選んだあとの現実と真剣に向き合いたい」
「お金が目的ではない、夢が目的ではない、死んだら後悔してしまいそうな問題と今向き合いたい」
「フリーターという道中を楽しみたい」

誰ひとりとして、納得してくれない。

そのような状況の中、皆に銃口を向けられた僕を見かねて、ある人は教えてくれました。
「あげおが皆に説明している姿は、”雪”を見たことない人に”雪”の存在を説明しようとする姿に似ている。おそらく、あげおの考えていることは誰にも伝わることはないよ。」
もちろん、そのことはわかっている。それでも、僕はなんとか自分が掴んでいるイメージを伝えたい。

しかし、フリーターという生き方に具体性と確信がない以上、言葉の説明だけでは納得させることができない

「小説を書いて賞をとりたい」
「スマートフォンのアプリをつくる」
「世界一周したい」
「中国に留学する」
そういうことでも言えば、皆は納得するのであろうか。きっと無理だ。それだけではダメなんだと思う。

「具体的なプランとそのためにできる努力、それによって生まれる結果。」そこまでを説明しないかぎり、誰も納得はしないんだと思う。

でも、そういう生き方は死んでもしたくない

だれかに納得してもらえる、鮮明なプランに沿って生きるなら、さっさと死んだほうがいい。目的地に向かうための毎日を過ごし、それに心を砕くくらいなら、目的地がない道中、歩いているその時々に味わえる出来事に心を向けるほうが、生きがいがある。人生を探検に例えるなら、歩き心地がよくて舗装された道を探検するのは大嫌い。むしろ、ずっと霧がかかったデコボコした道を唄をうたいながら歩き続けるほうがずっと楽しいし、好き。もしかしたら、途中で岩があり、それに躓いて怪我をしてしまうかもしれない。でも、僕という人間は、「そういう道を歩きながら、辛いことを味わい、それまで一度も気づかなかったことを知るほうが楽しい」と思っている。

”フリーター”という生き方は、そういう道を選ぶことと一緒なんだと思う。あまり人が歩きたがらない道だと思う。なぜなら、"フリーター"という道を歩いたことがある人は、その道の思い出を楽しそうに語ることはない。そして、彼らがその道を歩いていることを大多数の人が知らない。そのため、これから”フリーター”という道を歩きはじめる人は、それがどんな道なのかがわからない。しかも、”フリーター”という道を歩き始めると、「正社員という道まで戻りにくくなる」という”プレミアム”まで付いている。おそらく、”フリーター”という道は、探検する道としては最低なもの。こんな道なら、そりゃあ誰も歩きたくないし、その道を歩こうとする人はバカなんだと思う。もちろん、そこを歩こうとしている僕もまた、バカだと思う。

一方、正社員という道は、きっとすごく綺麗で、歩き心地がいいんだと思う。そこを歩いている人はいっぱいいるし、みんな幸せになるだろう。歩けば歩くほど、道が自分に馴染んでくる。工夫して歩けば褒められるし、歩いていてもなかなか飽きない。さらに、道中には「この道を探検するのは楽しい!」という日記がいっぱいあって、その先の道を悪いという人はいない。本当に良い道なんだと思う。

でも、「正社員という道は”フリーター”という道よりも楽しい」というロジックはいつでも成り立つわけではないと思います。なぜなら、どんな道を選んだとしても、その道が良いから自分の探検が楽しいわけではない。自分の探検の仕方が良いから、その探検は楽しくなるんだと思う。探検をするときには、誰かから命令なんてされないから、脇道に入ったりもできるし、歩かず他のことをやり始めてもいい。決して歩き続ける必要はないし、立ち止まると死ぬわけでもない。しかも、どの道を歩いていても楽しくする工夫はできるし、かっこよくする方法はあると思う。だから、どんな道を選んだとしても、楽しむことが目的ならどっちでもいいんだと思う。今まで歩いていた人たちがどんな経験をしていたとしても、

ほんとうに大事なことは、これから歩く人が、選んだ道に関係なく探検そのものを楽しめることなんだと思う。

一番はじめの話に戻りますが、僕にアドバイスしてくださった友人や先輩は、ほんとうに僕のことを思って、”フリーター”になることを否定してくれているんだと思います。

それは「せっかく道を選べるなら、怪我をしにくく迷いにくい道のほうが良い」という最良のアドバイスなんだと感じます。

だから、そのアドバイスを聞きながらも、”拒否反応”を示すような僕は単なるバカなのかもしれません。でも、どんな批判にあっても、僕の心の底にあるものは、変わりません。

「どんな道を歩いても、工夫次第で探検そのものは楽しめる。」

そう思いながら、これから、霧がかった道を唄を歌いながら歩いていこうと思います。たぶん、共感してくれる人は数少ないし、僕みたいな考え方は無謀でバカバカしいと思う人はいっぱいいると思います。

「かわいそうに、この子は本当に、バカなのね。」

そんな言葉を耳にしながら、僕は僕なりの探検の仕方を見つけてみたいと思います。そして、もしできるなら、”フリーター”という生き方が、肯定的にみられる将来を作れると信じて。

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