2012年6月3日日曜日

「あんたが卒業しなきゃ、お父さんに申し訳が立たない」







泣きながら母は、僕に言いました。


「あんたが卒業しなきゃ、
お父さんに申し訳が立たない」



そのことばを聞いた瞬間。



そのことばの意味を、
すべて理解しました。




いまから16年前、
母は父に言いました。


「だいじょうぶ。子どもたちは、わたしに任せて。」


父は、母のその言葉をきき、
亡くなりました。


僕がちょうど6歳のころでした。




それから母は、ひとりで

3人の子ども(長女、二男、三男)
を育てました。


でも、母にとってその3人の子育ては、
ほんとに苦しかったと思います。



長女は、高校には行かず、家に10年以上ひきこもりました。


二男も、高校には行かず、家にひきこもりました。


そして、最後の三男もまた、
母を苦しませた子となりました。


その子が小学生のとき、
いつも母に言っていました。


「うるせぇ、くそばばあ。早く死ね。」


母はそのことばを、
毎日あびせられました。



それに耐えられず、母は

「あなたは家の疫病神だよ」

とその子に言ってしまいました。



中学になっても、
その子の暴言はやみませんでした。


そしてその子は、
4校のうち3校の高校受験に失敗しました。


そのときにもまた、
母に暴言を吐きました。


「受からなかったのは、ぜんぶおまえのせいだ」



その子が、僕でした。



しかし幸運にも、
高校に入学するころには、
その子は自分を改めました。


勉強のやりすぎで救急車に運ばれた日や
2回の骨折で勉強に集中できない期間がありながらも


高校3年間をすべて、
勉強にそそぎました。


もちろん、
その子はわかっていました。


「その3年間は、母と兄弟全員の思いを背負っている」
ということを。



無事、その子は、
大学に入学することができました。


偶然にも
その大学は、亡き父の母校でした。



それから5年が経ち、


その子はまた、
軽はずみな気持ちで母に言ってしまいました。



「大学卒業なんかしても、意味ないじゃん」




僕は、馬鹿でした。


僕は、究極の愚か者でした。



なぜなら

母にとって僕の大学卒業は、
親としての最後の役目だからです。


そして、

僕の大学卒業は
父と母の最後の約束

でもあったからです。




もう「大学卒業しなくていい」なんて
死んでも言いません。



どんなことがあっても、
僕は大学卒業をします。




お母さん、迷惑かけて、

ほんとうにごめんなさい。

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