2012年6月11日月曜日

No39. なぜ”フリーター”なのか



思いを言葉にする事と”フリーター”になる事は別物

”好き”と”嫌い”を発していくこと。これによって、自分の思いを言葉にする目的を達成することができる。僕の中では、ここまではハッキリとわかった。しかし、自分の思いを言葉にする時間が欲しいから、”フリーター”になりたいというのは別物。なぜなら、フリーターでなくても、それはできるからだ。だったら、僕はなにがしたいんだろう。フリーターになって、なにがわかるんだろう。

”叶えたい夢”


今年の5月16日に書いたブログでも書いたように、いつか「15歳のときの自分が救われたように、その年代の後輩たちを手助けしたい」という夢を叶えたい。15歳の時、僕は「このままの生き方ではいけない」という危機感を抱いていた。自分の意志をもつことなく、誰かに自分の生き方を委ねて、責任転嫁をし続けていた。当時の僕は、そんな自分の生き方に終止符を打ちたかった。

そんなとき、「稲盛和夫さんの本」と出会った。結果的に、自分自身の力で人生の舵を握ることができるようになった。これは、当時の僕が歩んできた人生のなかで、最大の転機でした。この転機、この人生を変える瞬間を、当時の僕と同じ10代の子たちに届けたい。これが、僕の今の最大の夢である。

”夢”を叶えるには

「どうやったら、この”夢”を叶えることができるのだろうか。」僕はこの問いを自問自答し続けている。そこで、今の僕の中でひとつの答えが出ている。それは「社会的地位が低く無力な状態から、努力と失敗を重ね、大きな成功をつかむこと」である。僕は、この種の成功体験が絶対条件として必要だと思っている。なぜなら、僕が「稲盛和夫さんの本」を読んで、自分の人生を変えようと決心できたのは、稲盛さん自身がそのような人生を送ったからであった。

「中学受験失敗、結核という大病、大学受験失敗、破産寸前の会社への入社」という境遇にあった稲盛さんは、「運命は自らの力で変えられる」と信じ、何十年という努力と度重なる失敗を経験しました。その結果、京セラとKDDIを一代で築きあげ、数万人の雇用を生み出しました。

稲盛さんは、低い社会的地位であったのにもかかわらず、相当な失敗と挫折によって、これほどの大業を果たしたのです。だからこそ、当時の僕は、稲盛さんの「運命は自分の力で変えられる」という言葉を信じることができ、自分の人生を変えようと決断できたのです。稲盛さんのような、これほどの境遇が、僕の夢を叶えるためには絶対に必要なのです。もちろんそれは、とても無謀なことなのですが。

”夢”と”フリーター”

それでも僕は、死ぬまで、この夢に挑戦したい。たぶん、叶うことはないと思います。たとえそうであっても、「稲盛さんと出会い、稲盛さんの言葉によって人生を変えることができた」人間である以上、僕もまたその後継者でありたいです。だから、その夢に挑戦したい。そして、”フリーター”になるという決断は、この夢と密接に関係しています。なぜなら、僕もまた、若いころの稲盛さんと同じスタートラインに立つためです。

僕は、幸運にも、大学受験に成功し、20歳前後の人たちのなかでは非常に恵まれた環境で育ちました。しかし、これは僕の”夢”を叶えるにあたっては、あってはならないことなのです。このまま僕が、大企業に就職したり、先輩の成功体験に便乗する形で一緒に走っていては、決して稲盛さんのような人物にはなれません。それどころか、”夢”から遠ざかるばかりです。

なぜなら、今の僕がこのまま成功し続けても、10代の子たちに感動を与えることは100%ないと思うためです。そしてもし、若き頃の稲盛さんが、今の僕と同じ境遇からスタートしていたのなら、15歳の僕は「自分の人生を変えよう。自分の運命は自分で変えられる。」と決して思わなかったはずです。若い頃から成功し続けている人には共感できなかったからです。だからこそ、僕はいまの自分の境遇に違和感を覚え、立ち止まりました。

「本当に、このままでいいのか。」

こうした考えのもと、多くの犠牲を払い、さまざまな選択肢を失うとわかっていても、”フリーター”というスタートラインから自分の人生をやり直すことを、僕は決めました。



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