2012年8月11日土曜日

No54. Gånger flyger


Nästa månad, jag kommer till Sverige! I mitt liv, detta är första gången att åka utomlands. Det är därför jag mör trevligt och vill att ser Max, Sara!! 

Kanske, jag kommer att stanna i Max huset om han tillåta. Detta är mirakel eftersom Max också bo på mitt hus!! Jag saknar dem.

Jag tror Sverige är snö mark. Jag kan dö av kyla. Så jag alltid tror  på xxtta!! Om gör den detta sätt, jag kan leva för evigt.

I denna värld,  jag är en första NINJA att åka till Sverige!
Super människa!!

Jag är Titta.

2012年8月9日木曜日

No53. カウチサーフィングを通じて感じたこと


”Couch Surfing”な毎日

6月から約2ヶ月間のあいだ、友人とシェアしている自宅「馬場下ハウス」にバックパッカー(ここでは、カウチサーファー)を招いた。友人とシェアしている自宅は木造2階建ての一軒家(4LDK)なのだが、一階をゲスト用に解放。


そして、カウチサーファーとして受け入れた人たちは、Couch Surfing(http://www.couchsurfing.org/)で世界を旅している人たち。僕もそこに仲間入りしたくて、そのサイトに登録したわけですが、登録した初日から10件近くのリクエストが来た。

おそらく、「東京都新宿区」という立地が良すぎるせいだと思う。結局、あっという間に6月のスケジュールが埋まり、ここ2ヶ月の間の「楽しくも教訓に満ちた生活」が始まっていた。

ここでは、この2ヶ月の間にどんな人と会い、どんなことがあったのかは記しません。その代わり、始める前と今とでは大きく変化した自分の価値観を書きたい。


”理由ばかり”の生活

彼らと出会う中で、はっきりと自覚したことがあった。それは、いままでの自分の生き方は、”理由ばかり”に囚われていたこと。大学進学も、バイトも、サークルも、ぜーんぶ理由を考えてから行動した結果だった。”明日の予定”という単純なことであっても、理由を考えてから過ごしてきた。

「なぜ」、「なぜ」、「なぜ」

こうした自分の生き方を自覚したのは、今回のカウチサーファーとの会話が起点であった。今回のゲストは、北欧と北米中心の来客。ぶっちゃけ僕からしてみれば、ヨーロッパのスロベニアやスウェーデンから日本に来る背景には、「すんごい理由があるからだろう!」と思ってた。でも、その思いは、現実とはぜんぜん違った。

カウチサーファーが来るたび、僕はこんな質問をした。

「なんで日本にきたの?」
「今日はなにするの?」
「明日の予定はあるの?」

日本人にこんな質問をしたら、みんな一生懸命説明すると思う。

「どうして日本を選んだのか、どういう覚悟で日本にきたのか、日本でなにをしたいのか。」ということを。そして、今日はどこへ行って、明日はなにがしたのかまで考える場合が多いと思う。

だから、僕が彼らに質問をしたとき、同じような答えが返ってくると思った。
でも、僕に帰って来た答えは、予想外のものだった。

「んー、わからない。おもしろいと思ったから日本にきた!」
「去年もきたけど、道に迷ってすぐ帰ったよ。」
「今日なにをするかは、わからない。外に出てから決めるよ!」
「明日のことは、明日決めよう。それがいい!」

誰も、日本に来た理由を真剣に考えている素振りを見せなかった。っていうか、今日のことでさえも、ちゃんと考えているのか危うかった。笑

僕と出会った人の多くは僕よりも3〜4歳年上であったが、誰一人として難しい理由を考えていない。

「〜という理由があって、それを〜したいから、日本にきた。」

こんな答え方をする人はいなかった。むしろ、質問をするたびに、彼らの”純粋なエネルギー”だけを感じることができた。

だから、こんな感じで彼らの話を聞いていくうちに、「なーんだ、生きていくのに、理由がなくたって幸せなやつは、いっぱいいるじゃん。俺は、複雑すぎる生き方をしていたんだな〜。そりゃ、大変だわ。」

そう思った。


ルールの多い生活

カウチサーファーのみんなと、歩きながらよく語り合った。日本語を使うことはほとんどなかったけど、自分なりの英語で必死にコミュニケーションした。そんなあるとき、あるカウチサーファーが、僕に言った。

「日本人は、大人も子どもも、学校の生徒みたいだね。」

彼女のその言葉を聞いたとき、頭をドカッと殴られたような思いをした。

「そっか。日本人は、外から見るとそうみえるのか。もちろん、子どもがそう見えるのはわかっている。でも、彼らからしたら、日本人の大人もまた、子どものように見えるのか。」

彼女の言葉には皮肉はなかったと思う。でも、彼女のその言葉は、端から見た日本人の特性をよく説明していると思った。なぜなら、電車・お店・家・デパート・会話のどれをとっても、「やってはいけない・やらないほうがいいこと」がたくさんあり、日本人の誰もがそれに従っている。しかも、黙々と。まるで、学校の先生に言われてやる生徒のように。

日本では、そういう姿を、「空気を読む」と言う。
黙ってやりなさい、言うことを聞きなさい、人が迷惑することはしなさんな。こういうことを自分たちにいい聞かせながら、日本の教育が行われていることは間違っていない。

しかし、日本に住まない国の人から見れば、空気を読んでいる人たちの姿は、まるで「学校の先生の言うことを忠実に従う生徒」だったんだと思う。もちろん、「空気を読む姿」の背景には、日本文化の中枢にある「思いやり精神」がある。決して悪いことではない。

ただ、「この思いやり精神があるから、自分たちは暗黙ルールに従っているんだ」ということを彼らに知らせなければ、日本人は「言いたいことも言えず、他人の言いなりになる子ども」と思われてしまうのだと思った。

「空気を読む」ということ。日本独特の感性であり大切にしていくべきものである一方、空気を読んでいる人の姿は「学校の生徒みたいな人たち」と見られることがある事実は、今後も自覚しておかないといけない。

自律か他律か。

「どっちでも大丈夫」
「〜と〜のどっちが欲しい?」
「たぶんどっちでも問題ないよ」

ここ2ヶ月、僕はこうした言葉を何気なく使っていた。日本では良く使われている言葉だし、他人を不愉快に思わせることもないだろうと思った。でも、こうした言葉を使っていくうちに、何度かカウチサーファーから言われたことがあった。

「どっちでも大丈夫じゃなくて、あなたが決めるべき。」
「欲しいものは自分で選ぶから気にしないで。」
「たぶん?たぶんってどういうこと?あなたが良いと思う方を聞いているの。」

こうしたことを言われて思ったことは、どこの出身の人とのコミュニケーションであれ、「自分で決めるべきこと・他人が決めるべきこと」をはっきり区別しないといけないこと。そして、自分の意志をはっきり伝えること。

これは「単なる会話」で済まされることではない。もし、自分が決めるべきときに他人の意思に従ってしまえば、自分の選択権は時間とともに失われて、あとから「自分で決めたい」と思っても手遅れなことがある。

バイトのシフト提出もそうだし、友達との遊ぶ予定もそう。また、仕事のミーティングでの決めごとや役割分担の場合も同様。自分が決めれるときに、それを他人に決めさせることは、「他律的」と言っておかしくない。

このように、カウチサーファーの人との会話ではっきりと気づいたことは、いつのまにか自分は他律的な考え方になっていたということだった。選択肢が多くあるときは、1つに絞り込むまで真剣に考えないし、選択肢があることを大切なとと考えることはなかった。

逆に、馬場下ハウスにきたカウチサーファーのほぼ全員が自律的であり、自分が選べる範囲では自分ですべてを決めていることにも気づくことができた。

そのため、カウチサーファーのみんなは、自分で選べるときに選ばない僕の行動を怪訝そうに見つめ、自分が選べるときには自分で選んだ方がいいと言ってくれたんだと思う。

もちろん、僕の行動の裏には、カウチサーファーの人たちが思う存分楽しめるように、思いやり精神を発揮していたつもりだった。でも、その思惑は思わぬ形で働くことが多く、日本人に通用するような思いやりは無用であった。

「思いやりを軸とした他律」と「権利を軸とした自律」。

どちらを使うかは個人の自由だが、思いやりを軸にすると、他律的な振る舞いになることをこの2ヶ月で一層自覚した。


以上。カウチサーフィングで感じた、ちょっとした思いはこの辺で。

他にもいろいろと感じたことはあるけれど、今ぱっと思いついたことはこの3つ。今後も参考になると思うため、ブログとしてメモらせていただきました。


あ〜今日も暑い…!!!



2012年8月3日金曜日

No52. 大学生活で学んだこと・得たこと



大学生活で学んだことを列挙。
良い点と悪い点、一気に。

【良い点】
・学ぶことと行動することは全く違う
・お金を稼ぐよりも大事なのは、誰のためにサービスをするか
・がむしゃらに動いても結果は出ない
・覚悟をしないと、自分の時間が他人の時間になる
・本当に人を助けたいのなら、公私をはっきりさせる
・キャリアアップや仕事は、欲への冷徹さが大事
・お金の消費と投資は、使ってみないと区別できない
・噛じるすね(親の資金源)が無くなって初めて、人の大切さを知る
・他人の非を咎める前に、まずは自分の非をなくすこと
・ゼロの意味を知る
・自分の言いたいことを言えないことは、人生の損
・決断の数だけ進化する
・効率的な生き方を知れる

【悪い点】
・お金のない家庭が無理をすると、健康保険がなくなる
・欲をなくせば、楽して生きれる
・幸せになる方法がわかる
・欝になる方法がわかる
・無感覚に借金をしてしまう(学生支援機構など)
・自分が相対化される
・ブランドや肩書き、大金に目が向かいがち
・家族計画が遅れる
・トレードオフ的価値観の獲得
・伝統的価値観から合理的価値観への転換
・自分の嗜好が急激に発達する
・どうやったら競争に勝てるかがわかる
・合理的経済人に近づくようで、実は部分的な伝統的価値観に支配される

大学生のときにちょっとだけ書いてたブログ
"chibiplanの日記" http://d.hatena.ne.jp/chibiplan/about
※受験生向けに書いたが、忙しくて長く続かず、そのままの状態。

2012年8月2日木曜日

No51. 大学に入ってよかった?



ジメジメとした暑き日に。

大学に入学して、4年数ヶ月がたった今。僕の最後のテストが終わった。
出来なんかどうでもよい。なぜなら、9月に卒業するのであるから。

東京にきてから、多くのことを知りました。家族、お金、教育、仕事、そして自分。最初の1年間はなだらかな波の中、ゆらゆらと揺れながら航海し続けた。でも、2年目(2009年4月)になる前に、ドカッと僕の船は座礁してしまったのです。

亡き父を知り、身近な人に裏切られ、自信を失う。

自分は、東京に来るまで「早稲田大学」というブランドに誇りを持っていた。自分のすべてを懸けてきた高校3年間に自信を持ち、当時の自分もまたそのブランドに相応しい人間であると考えていた。

しかし、入学から100人、300人、500人と、新しい出会いを重ねれば重ねるほど、この大学にいる5万人という数に圧倒され、立ちすくんだ。それと同時に、自分のプライドを捨てられないまま、虚栄心に阻まれ、自分の本当の気持ちを出せずにいた。

そして、亡き父の死に様を知り、驚嘆した。いままでに聞いたこともない、いや死ぬまで出会うことのないであろう境遇を生きてきた父の話を聞き、生のあるべき姿を考えるようになった。でも、考えれば考えるほど、自分のアイデンティティの不在を知り、困惑してしまった。

さらにこの頃。ある仕事を他人から任され、それに自分の物的資源をすべて投入した。でも、それは失敗に終わり、雨の日に捨てられた子犬のような状態に陥ってしまった。心はポッキリと折れ、生気を失い、自分の意志で行動をしなくなってしまっていた。単なる、反射的に動く生き物に成り下がったのであった。

殻に閉じこもった3年間に耐え切れず。

それから3年が経った今年の5月。ダンボールのなかにじっと座っている自分を、誰かが拾ってくれるのを待つ生き方をやめた。外に出たい気持ちを我慢して、じっとしている生きるなんて、もう懲り懲りだった。だから、それまでお世話になっていた会社をやめ、自分の住む環境も変えた。そのときは、そんなことまで予期してなかったけど、今考えてみれば、自分の生活を変えようとする自分の気持ちの現われだったのだと思う。

そして、そのときから始めたのが、このブログだった。自分の思っていることを吐き出す緩衝材。自分の思っていることをそのまま誰かに伝えては、その人を困惑させてしまう。だから、このような間接的な形で、思いを吐き出すことにした。いままで、絶対に誰にも話さなかったことや話したくないことまで。ありとあらゆるわだかまりを無くすためだけに、毎日毎日綴っていた。

でも、それからちょうど一ヶ月経ったとき、ある一言に心を突き刺された。

「それは、何もしていないのと一緒。」

そのときの僕は、自分の気持ちをひたすら言葉にしていた。できるだけ、その思いが忠実に言葉になるように、一言一句、念を入れて文字を打ち続けていた。ただ、自分でも、そのことがどのような方向に向かっていくかなんて考えもしなかった。だから、その言葉を言われた瞬間、なにか行動を起こさないといけないと、心の奥底で感じていた。

「この3年間、なにを一番恐れてきたのか」

その時から、自分の思いを吐き出し続けることだけの生活をやめ、新しい問いと向かい合うようにした。「僕は、この3年間で何を一番恐れてきたのか。」、「なぜ3年間も、小さな殻の中にこもっていたのか。」答えは、とっても簡単なことだった。

「お金を使うこと」

僕は、この3年間、お金を使うことを一番恐れていた。それは、お金がなくなって生活できなくなることを恐れていたわけではなく、毎年「国の教育ローン」から借りているお金を返すためにお金を使わなかったわけでもなかった。お金を使うことを恐れていた本当の理由は、「自分が”せっかく”稼いだお金を使うのが、嫌だった。」その気持ちが、自分のなかから拭い去れなかったのだ。

誤解を招かないように言うと、これは単なるケチということではなかった。この背景には、実家の年収が100万円台であり、自分がとっておいた貯金がいつの間にかなくなるような家庭事情があり、大学2年秋からの学費がすべて借金によって成り立っていること。そして、家族5人のうちの、たった自分一人だけが普通高校を卒業し、大学に入学したことが大きく関わっていた。すなはち、家族の中で一番お金を使っていたのが自分であり、家族のお金を絞るように蝕んでいたのが自分の学費であったことが、大きく影響していた。もちろん、そうした背景ゆえに、大学2年から仕送りは一切なかった。

どうにか、お金を使うことに対するビビリをなくさなければならない。

僕は、自分が本当に恐れていたこの現実と向き合うことにした。自分のお金が、砂浜の貝殻ですくえるほどしかなくとも、お金を使うことを恐れてはいけない。なぜなら、それが自分の行動範囲を狭め、自分の思いを阻み、自分の存在を小さいものに変えていったからだ。

こわい…こわい…こわい。

僕は、今でもお金を使うのが怖い。でも、この問いと向き合わなければ、年をとってから乗り越えることは無理だろう。そう思っている。だから、この秋、自分のお金を投げ捨てることにした。