2012年8月2日木曜日

No51. 大学に入ってよかった?



ジメジメとした暑き日に。

大学に入学して、4年数ヶ月がたった今。僕の最後のテストが終わった。
出来なんかどうでもよい。なぜなら、9月に卒業するのであるから。

東京にきてから、多くのことを知りました。家族、お金、教育、仕事、そして自分。最初の1年間はなだらかな波の中、ゆらゆらと揺れながら航海し続けた。でも、2年目(2009年4月)になる前に、ドカッと僕の船は座礁してしまったのです。

亡き父を知り、身近な人に裏切られ、自信を失う。

自分は、東京に来るまで「早稲田大学」というブランドに誇りを持っていた。自分のすべてを懸けてきた高校3年間に自信を持ち、当時の自分もまたそのブランドに相応しい人間であると考えていた。

しかし、入学から100人、300人、500人と、新しい出会いを重ねれば重ねるほど、この大学にいる5万人という数に圧倒され、立ちすくんだ。それと同時に、自分のプライドを捨てられないまま、虚栄心に阻まれ、自分の本当の気持ちを出せずにいた。

そして、亡き父の死に様を知り、驚嘆した。いままでに聞いたこともない、いや死ぬまで出会うことのないであろう境遇を生きてきた父の話を聞き、生のあるべき姿を考えるようになった。でも、考えれば考えるほど、自分のアイデンティティの不在を知り、困惑してしまった。

さらにこの頃。ある仕事を他人から任され、それに自分の物的資源をすべて投入した。でも、それは失敗に終わり、雨の日に捨てられた子犬のような状態に陥ってしまった。心はポッキリと折れ、生気を失い、自分の意志で行動をしなくなってしまっていた。単なる、反射的に動く生き物に成り下がったのであった。

殻に閉じこもった3年間に耐え切れず。

それから3年が経った今年の5月。ダンボールのなかにじっと座っている自分を、誰かが拾ってくれるのを待つ生き方をやめた。外に出たい気持ちを我慢して、じっとしている生きるなんて、もう懲り懲りだった。だから、それまでお世話になっていた会社をやめ、自分の住む環境も変えた。そのときは、そんなことまで予期してなかったけど、今考えてみれば、自分の生活を変えようとする自分の気持ちの現われだったのだと思う。

そして、そのときから始めたのが、このブログだった。自分の思っていることを吐き出す緩衝材。自分の思っていることをそのまま誰かに伝えては、その人を困惑させてしまう。だから、このような間接的な形で、思いを吐き出すことにした。いままで、絶対に誰にも話さなかったことや話したくないことまで。ありとあらゆるわだかまりを無くすためだけに、毎日毎日綴っていた。

でも、それからちょうど一ヶ月経ったとき、ある一言に心を突き刺された。

「それは、何もしていないのと一緒。」

そのときの僕は、自分の気持ちをひたすら言葉にしていた。できるだけ、その思いが忠実に言葉になるように、一言一句、念を入れて文字を打ち続けていた。ただ、自分でも、そのことがどのような方向に向かっていくかなんて考えもしなかった。だから、その言葉を言われた瞬間、なにか行動を起こさないといけないと、心の奥底で感じていた。

「この3年間、なにを一番恐れてきたのか」

その時から、自分の思いを吐き出し続けることだけの生活をやめ、新しい問いと向かい合うようにした。「僕は、この3年間で何を一番恐れてきたのか。」、「なぜ3年間も、小さな殻の中にこもっていたのか。」答えは、とっても簡単なことだった。

「お金を使うこと」

僕は、この3年間、お金を使うことを一番恐れていた。それは、お金がなくなって生活できなくなることを恐れていたわけではなく、毎年「国の教育ローン」から借りているお金を返すためにお金を使わなかったわけでもなかった。お金を使うことを恐れていた本当の理由は、「自分が”せっかく”稼いだお金を使うのが、嫌だった。」その気持ちが、自分のなかから拭い去れなかったのだ。

誤解を招かないように言うと、これは単なるケチということではなかった。この背景には、実家の年収が100万円台であり、自分がとっておいた貯金がいつの間にかなくなるような家庭事情があり、大学2年秋からの学費がすべて借金によって成り立っていること。そして、家族5人のうちの、たった自分一人だけが普通高校を卒業し、大学に入学したことが大きく関わっていた。すなはち、家族の中で一番お金を使っていたのが自分であり、家族のお金を絞るように蝕んでいたのが自分の学費であったことが、大きく影響していた。もちろん、そうした背景ゆえに、大学2年から仕送りは一切なかった。

どうにか、お金を使うことに対するビビリをなくさなければならない。

僕は、自分が本当に恐れていたこの現実と向き合うことにした。自分のお金が、砂浜の貝殻ですくえるほどしかなくとも、お金を使うことを恐れてはいけない。なぜなら、それが自分の行動範囲を狭め、自分の思いを阻み、自分の存在を小さいものに変えていったからだ。

こわい…こわい…こわい。

僕は、今でもお金を使うのが怖い。でも、この問いと向き合わなければ、年をとってから乗り越えることは無理だろう。そう思っている。だから、この秋、自分のお金を投げ捨てることにした。







0 件のコメント:

コメントを投稿