2012年6月9日土曜日

No36. "ちっぽけな存在"



いま、”フリーター”という生き方からはじめることを決めている。手のひらにも、頭の中にも、秘策なんてものはない。いまあるのは、これまで20数年生きてきた、自分のからだがあるだけ。お金や家族、友人、仕事、そうしたものから一線離れたところに自分の身があるだけ。いまの僕にできることは、今までの短い人生を話すことと、いまの気持ちを言葉にすること。その程度のことくらい。自分にブランドなんて一欠片もない。もしあるとするなら、地に足のついた、あるがままの気持ち。それ以上、僕になにかをもとめても、なにも出てきやしない。

僕は、ちっぽけな存在なんだと思う。

東京の六本木の高いビルに登り、窓ガラスを通して外をみると、1300万人もの人が住む大都市がみえる。眺める場所が、高ければ高いほど、自分の小ささを実感させる。目の前にひろがる大都市には、生きている人すべてが、みずからの幸せを願い、それを手に入れるためになにかをして生きている。ちっぽけな僕が、いてもいなくても変わらないくらい、毎日なにかが、何百億単位で変わり続けている。僕が”フリーター”という生き方を決めたことも、その何百億のなかの変化のひとつ。何百億の変化の、たった1つにすぎないものだと実感させる。

さて、”たそがれ”はこの程度にして、いまやりたいことを書き出したい。それは2つ。週単位でやりたい事と月単位でやりたい事である。

まず、週単位でやりたいことは、「自分という人間をどの程度までことばにできているか」というチェックとフィードバックである。僕にはいま、切実に解決したい問題がある。それは「自分の考えを言葉できちんと表現できていない」という問題である。1日でも早く、この問題を解決したくて、毎日このブログを綴っている。そして、この解決のためには、自分をいつも見てくれている人の手を借りたり、自分自身が変わったと思うことを記録に残していかなければならない。その解決策の一環として、「自分という人間をどの程度までことばにできているか」というチェックとフィードバックが必要なのである。その第1回目として、明日、これまで続けてきたブログのチェックとフィードバックをしたいと思う。

そして、月単位でやりたいことは、週単位でやっていることの力試しである。今年であれば、自分自身という人格を伝えるのに十分なエッセイを作り、これまでの自分に一段落をつけることである。前々回のブログで述べたように、僕は「自分の考えや思いを言葉にすること」を4年間にわたって怠ってきた。その結果、言葉で説明することを厭うようになり、どんな質問に対しても満足といえる考えとその根拠を示せなくなってしまった。特に、文章を書くにいたっては、会話でできるはずの多面的な話もできず、一方的で一面的な薄っぺらい文章しか書けなくなってしまいました。おそらく、この文章もまた、非常に薄っぺらいものになっているかもしれない。それもまた、非常に辛く悲しいことです。その解決策として、まずは”自分という人格を表現したエッセイを作る”こと、それを9月までにやり遂げたい。場合によっては、自分だけのなかに留めず出版社の原稿応募として提出するかもしれないし、永遠に自分のPCのなかに封印するかもしれない。現時点で、そのエッセイの処理については重要でないのでこの程度にしておきます。

0 件のコメント:

コメントを投稿