2012年6月10日日曜日

No38. "思い"を"言葉"にしたあと


"思い"、"思い"、"思い"。

僕が、"思い"ということばに、ここまでこだわっている理由を考えてみた。間違いなく言えることは、自分の"思い"をないがしろにしてきたこと。そのときには気づいていなかったが、なにかをするときには、母の考えや兄の考え、身近な友人の考えがチラついていた。

チラつくというのは、些細な事かもしれないけど、それらが僕の振る舞いに与える影響は非常に大きかった。そして、その影響力に負けて、自分の”思い”はたいていの場合において二の次であったと思う。これを克服したい。そこに端を発して、僕の”思いを言葉にしたい”発言がはじまった。

”思いにこだわった先には何がある”

でも、ここからが大事なことなのだが、”思いを言葉にできるようになったら、どうするの?”っていうこと。”思いをないがしろにしてきた”という大きなコンプレックスを抱えている今の僕は、目の前のこの問題を解決することに躍起になっている。しかも、僕の性格上、これを解決するまでは後先のことなんて考えやしない。

ただ、このままでは”やばいんじゃないか?”という直感がある。”後先も見えないまま突き進んで、もしそこに何もなかったら、どうなるんだ”という不安がある。そこで、もう少しこの先のビジョンを鮮明にするために、新たな問いを自分に立ててみた。

”思い”を”言葉”にするとは、なに?

考えてみると、いろいろ思いつく。いま考えていることを言葉にすること。頭の中に浮かぶものを言葉にすること。本当の思いを掴み、それを厭わず伝えること。

でも、どの答えも似たり寄ったりで、本質を突いたものに感じない。たぶん、どれも違うと思う。なぜなら、どれも単なる言い換えであって、心の底からにじみ出たものではない。では、なんなのだろう、”思いを言葉にする”って。

”思い”にここまでこだわる本当の原因


そこで、”思い”にこだわる原因をもう一度考えてみる。僕が”思いを言葉にすること”にこだわっている本当の原因、それは自分の思いを二の次にし続けたことであった。これは、冒頭でも書いたとおり。つまり、いまの僕が一番したいのは、自分の思いを二の次にせず、最優先事項にすること。そのために、こうしてブログを書いて、自分の思いを探り、鮮明な形で言葉にしようとしているのだ。

でも、単に”切実に思うこと”を言葉にしていても、なかなか自分の思いは見えていない気がする。それは、切実に思うことを説明しているにすぎないからかもしれない。”自分の色”がないのかもしれない。なぜなら、僕は自分の好きとか嫌いといった、本当の気持ちを隠しているから。


"好きなものを好きって言いたい、嫌いなものを嫌いって言いたい。"

僕は”思い”を”言葉”にすることで、本当の気持ちである「好き嫌い」をハッキリさせておきたいのかもしれない。いままで、家族や友人などの考えを優先していたために隠し続けていた、湧き上がる感情。それを押し殺してきたからこそ、今になって、それらを言葉にしたり行動に示すことで、今まで感じることができなかった”生き生きとした振る舞い”を実現したいのかもしれない。”これが好き”、”これは嫌い”。

そういう気持ちを言葉として発することで、自分のアイデンティーを見つけようとしているのかもしれない。だからこそ、今の”出しきれていない感情”をフルに引き出そうと躍起になっている。感情を示せれない自分を、もったいないと感じている。僕は、自分の”好き”と”嫌い”を見つけたい。”思い”にこだわリ続けるのは、”気持ち”を示したいということなんだと思う。

もう一度、問う。”思いにこだわった先には何がある”

感情を見せれる自分。なにかを好きといい、なにかを嫌いといえる自分。これが、”思い”を”言葉”にできるようになった先にあるもの、だと思う。”好き”と”嫌い”を他人に見せることを恐れてはいけない。自分の気持ちを隠してはいけない。そう自分に言い聞かせながら、”地に足のついた自分”を見せたい。こうした潜在意識が、いまの僕にある。

おそらく、こうした願望は多くの人にとって中高時代に育まれるものだと思う。もちろんそれは、反抗期や進路選択の際にうまれる刹那的な願望とは別のもので、日常のなかで誰もが持ち続ける願望のことである。

例えば、今使っているノートやボールペンを選んだ背景に隠れた願望や、いつも通う喫茶店を選ぶ行動に隠れた願望といった、日常的なものである。

僕はこれまで、その願望を意識することがなかったため、自分の気持ちが行動に反映されることはほとんどなかった。誰からも評価されうるものを無難に選ぶことで、自分の潜在的な感情が否定されることを避けつづけていたのである。

でも、いまのこの瞬間、そういう自分に耐え切れなくなった以上、いまの自分を変えたい。

他人に否定されても、好き・嫌いを見せられる自分

そこを目指して、いまの僕は”思い”を”言葉”にすることにこだわり続けている。

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