2012年5月23日水曜日

No23.自分を泣かさず




私は、いわゆる学問らしい学問は、全くといっていいほどせずに育ちました。満九歳、小学校四年生のときに、大阪の商店で奉公を始めましたから、小学校も途中でやめているのです。もちろんそれは、自分でそうしたくてしたのではありません。むしろ学校へ行きたいという気持ちは、人一番強かったように思います。
〜『人生心得帖』故:松下幸之助(パナソニック創設者)より




僕が松下さんのことを知ったのは、ちょうど3年前、大学1年生の冬のときです。


高校生のときは、僕の師匠は稲盛和夫さん(京セラとKDDIの創設者)と故:湯川秀樹さん(日本初のノーベル物理学賞受賞者)でしたから、故:松下さんのことは詳しくは知りませんでした。

今となっては松下さんもまた僕の師匠です。


そして、こう思うようになりました。


学校の勉強って、そんなに大事じゃないんだなって。


今も、そう思っています。


ただ、高校のときの僕がそう思っているのなら、今のようにがんばる事はなかったんだと思います。そして、いまだに、「勉強ができるかどうか」という争いごとに振る舞わされていたと思います。

なぜなら、当時の僕は勉強ができていなかったし、勉強ができる人に嫉妬していたから。

嫉妬していたからには、勉強に僕は振り回されていたんだと思います。


でも、今は違います。僕は勉強に振り回されていません。


この違いはなんなのでしょう・・・


僕はこう思います。


勉強に振り回されていた自分にとって、勉強は自分の手に扱えない難しいもの。

勉強に振り回されない自分にとって、勉強は手のひらの上で転がせるもの。


この違いなんだと思います。


勉強って、一度できるようになれば自分の道具になる。

ただ、勉強ができるって思えるようになるまでは、自分が勉強に振り回されてしまう。

だからこそ、勉強ができるようになったと思うまで、勉強に専念してみないといけないんだと思います。


勉強しなさい、勉強しなさい、と言われる人も多いと思いますが、勉強は道具にすぎないので、勉強でなにをしたいのかを意識しながら、勉強とうまく付き合っていかないといけないかもしれません。


学校生活の真っただ中にいる人たちに伝えたいメッセージ。


勉強を使いこなせるようになるまで成長すれば、
「勉強はしなくてもかまわない」。
そういう柔軟な考え方に立つ事が大事。


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